皆さんどうもこんにちはブログの更新致します。
今回は自分の、あるちょっとした気づきを共有したくてブログを更新します。
実はこの前自分の母親と二人である演歌歌手のコンサートに行ってきました
その演歌歌手と言うのは、「福田こうへい」と言う東北出身の演歌歌手で6月20日に某ホールにて行われました。
生前の父と母との同郷の演歌歌手なので自分も事業所の近くと言う事もあり母親と約束して見に行ってきました。
福田こうへいオフィシャルウェブサイト | Kouhei Fukuda official website
聴いた感想としてはもろにど演歌と言う感じで隣に座っていた母親も拍手喝采で感動しておりましたが、自分は聞けば聞く程、段々と陰鬱な気分になって行きどんどん気持ちが沈んで言って全く共感する事が出来ませんでした。
同じ演歌歌手でも山内啓介等はまだ昭和の歌謡曲なども歌っていましたので何とか受けいれる事ができました。
又同じ演歌歌手でも
氷川きよしオフィシャルウェブサイト | KIYOSHI HIKAWA OFFICIAL WEBSITE |
は、演歌歌手と言う枠組みに収まらずアニメドラゴンボール超のオープニングテーマを歌う等ビジュアル系アニソン歌手に挑戦する等新たな顔もみせています。
他にも黒人演歌歌手と言う異色の経歴を持つ
日本人の祖母の影響で祖母が良く歌っていた演歌を好きなった事が演歌歌手になったきっかけと語っています。
演歌歌手と言うより昭和の歌謡曲等を思わせる曲が多いのも特徴です。
現在ジェロ氏は、諸事情により無期限の活動休止中ですが、ただ演歌の情熱は冷めていない様です。
さて、元々自分は音楽はロックやメタル・J-POPや良くて昭和の歌謡曲当たりが自分としては、ギリギリ受けいれられる音楽だと思います。
自分にとっての音楽とは、一言で言えば音の探求何だと言う事です。
常に新しい音や音楽の追求であり歌詞の関しては文学的で何処か哲学的な歌詞を好みます。
だけど自分としても何故これ程までに演歌に対して忌避感を覚えるのか?
考えに考えた挙句ようやくその答えが分かりました。
演歌の歌詞を翌々聴いて見るとある共通する事がありそれはどれもこれも過去の思い出や懐かしさに浸る様な過去にフォーカスした歌詞が原因でした。
特に酒(特にひとり飲み)の歌・失恋の歌・夫婦で苦労した歌等もあれば、人情の歌や
人生の苦労の歌や人生の悲哀や悲しみ・辛さ等の歌など歌詞が演歌の歌の基本でありそれを美化して歌っている音楽だと言う事が分ったのです。
何故シニア世代は、特に(70代・80代・90代)の人に演歌は刺さるのか?
その答えは簡単で、特に(70代・80代・90代)の人達は、もう未来の事まで考えなくても良いからだと思います。
精々考えているのは、自分がどの様に死ぬか等の人生の終活位は考えているかも知れません。
だけど、同時に自分の人生は果たしてこれで本当に良かったのだろうか?
と言う振り返りと人生の纏めであり総括の様な感覚で聴いているのかも知れません。
その様な人生の纏めであり総括と言う意味では、やはりお年寄り等に刺さる音楽なのかも知れませんね。
さてそこで何故演歌と言う音楽ジャンルが生まれたのか?
演歌の歴史的背景
演歌のルーツと歴史
明治時代
「演説歌(えんぜつか)」が語源 「演歌」と言う言葉の語源は、明治時代に登場した「演説歌」
に由来します。
自由民権運動の中で、政府に批判的な内容を演説の代わりに歌で伝える手段として用いられました。 実質的には「プロテスト・ソング」に近い存在で、政治的メッセージを広く大衆に伝えるための歌でした。
東海林太郎などがその名残をとどめるようなスタイルで活躍
大正〜昭和初期
流行歌との融合 大正〜昭和初期にかけて、浪曲や民謡、都都逸(とどいつ)などの要素を取り入れながら、「流行歌」として一般大衆に広まっていきます。
テーマは「男女の別れ」「未練」「ふるさと」など、日本人の情緒や郷愁を反映したものが多くなります。
メロディにはこぶし(節回し)が多く含まれるようになり、今日の演歌に近づいていきました。
昭和中期
演歌の確立 1950〜60年代、特に美空ひばり、春日八郎、村田英雄らの登場により、演歌はジャンルとして明確に確立されます。
戦後の復興期における大衆の心情(望郷、哀愁、人生の苦しみなど)を反映。
レコード産業とラジオの普及も、演歌の国民的浸透に拍車をかけました。
昭和後期〜平成
「演歌ブーム」とジャンルの再定義 1970〜80年代には、五木ひろし、細川たかし、八代亜紀、石川さゆりなどのヒットにより演歌ブームが起こります。
同時に「ムード歌謡との区別」や、「ポップスとの融合」も進み、明確なジャンル分けが難しくなる事も。
テレビの「紅白歌合戦」などでも主力ジャンルの一つとして位置づけられました。
現代(平成〜令和)
新しい演歌の形へ 若手の演歌歌手(例:氷川きよし、水森かおり、三山ひろしなど)が登場。
最近では、演歌+ロックやポップスの融合(例:氷川きよしがビジュアル系寄りに転向)など、
新たな表現の模索が続いています。
なかでも演歌歌手の小林幸子さんが歌もボカロ曲に挑戦する等亜紗(和楽器バンドでベースを担当ソロでもCDをリリース)作詞・作曲の吉原ラメントや黒うさP作詞・作曲の千本桜等演歌の歌唱法でこぶしのある歌声を披露しております。ちなみに吉原ラメントは小林幸子さんと共に亜紗さんもベースで共演しております。
演歌の音楽的特徴 3拍子や6/8拍子の哀愁あるリズム メロディに「こぶし」を多用
和楽器やアコーディオン、ストリングスによるアレンジ 歌詞は人情・未練・旅情・別れなどを題材にしたものが多い中演歌の意義、演歌は「古くさい」と言われがちですが、日本人の精神文化や感情表現の縮図とも言えるジャンルです。
今で言うJ-POPが都会的な情緒を扱うのに対し、演歌は土着的で、生活や苦労に寄り添った音楽とも言えるでしょう。
ついでに日本民謡の歴史の付いて
日本民謡は最も歴史が古い様です。
縄文・弥生時代(〜紀元前〜紀元後)
この時代にも農耕・祭祀・狩猟に関連した歌やリズムがあったと考えられています。
遺物の中には土笛や打楽器のようなものも存在。
これはまだ「民謡」と呼べる形ではありませんが、原始的な労働歌や祭礼の歌が起源とされます。
古代〜中世(飛鳥〜鎌倉時代)
万葉集などに見られるように、庶民の恋や自然への想いを詠んだ歌も増えてきます。
神楽歌(かぐらうた)や田楽(でんがく)、風流(ふりゅう)といった農耕儀礼や宗教儀式の歌が各地で歌われるようになります。
この時代、地域の信仰・祭礼・季節行事と結びついた歌が徐々に「民謡化」していきます。
室町〜江戸時代
民謡の形成期(15世紀〜19世紀)
この時期こそ、いわゆる「民謡」が形になっていく時代です。
労働歌:田植え歌・刈り入れ歌・炭焼き歌・舟唄・木挽き唄 など「仕事のリズムを整え、疲れを和らげる歌」として歌われた。
祝い歌・子守唄・祭り唄・誕生・結婚・年中行事・宗教行事など、人生や共同体の節目に歌われた。 この頃の民謡は、文字に残らない口伝(くでん)文化として受け継がれ、土地ごとに変化・発展していきました。
明治〜大正時代(近代化と記録の時代)
明治以降、西洋音楽の導入と並行して、民謡の採集と記録が行われるようになります。
民俗学者の柳田國男や、音楽家の本居長世などが中心。
SPレコードやラジオの登場により、地域限定の歌が全国に広がるようになりました。
これが「民謡歌手」や「商業民謡」が生まれるきっかけです。
昭和時代民謡ブームと演歌への橋渡し
1950〜60年代にはNHK「のど自慢」や民謡番組の影響で民謡ブームに。 地元の祭りや観光PRとして「民謡が観光コンテンツ化」される。 この頃の流れが演歌(商業演歌)へと接続していく。
民謡の特色(世界と比較して) 地域ごとの方言・旋律・リズムが明確(=「地の歌」と言う意味での民謡)。
労働・信仰・祝い事など、生きることそのものを支える歌。ヨーロッパの民謡(フォーク)とも共通して、口承文化として伝わりました。
現代における民謡 フォーク・演歌・ロック・アニメ音楽などにアレンジされて再登場をしております。
例
和楽器バンド
民謡×和楽器×演歌の歌唱法×ロックのまさかのハイブリッドな融合バンド
既存バンドの楽器ギター、ベース。ドラムの他、日本古来の和太鼓や津軽三味線、琴、笛(尺八)に更に女性ヴォーカルを加えた総勢8人編成の異色のバンド海外の音楽フェスにも出場し高評価を覚めました。
2019年、デビュー20周年を迎えた、津軽三味線の第一人者、吉田兄弟。 北海道登別市出身。ともに5歳より三味線を習い始め、1990年より津軽三味線奏者初代佐々木孝に師事。
あいみょん
兵庫県西宮市出身シンガーソングライター
そして若者の求める音楽とは、
若者はこれから先の未来を如何なるかわからない不安な未来をこれから先を生きなくては、行けないのですよ。
少なく共、演歌の様な過去にばかりを懐かしむ様な演歌は少なくとも自分や10代・20代・30代の人達には刺さらない音楽だと思います。(余程変わった人を除いて)
対して若者が好む音楽とは、この30年もの間ずっと不況が続いている為か、若者にパワーや元気を与える歌や音楽や世の中の不条理や生き辛さを歌う曲や何処か希望を感じる歌や曲など又はどこか疲れた心を癒してくれる様な歌や音楽が一番心に刺さると思います。
そう言う歌や曲を聴いて「元気を貰った」とか「自分だけじゃなかった」とか「自分も頑張ろう」と言う気持ちも沸いて来ると思うのですよ。
音楽と言うのはその時代を生きた当時の若者達の言葉に出来ない心の叫びその物だと思います。
しかし当時の昭和の頃は非言語と言う単語が未だ無かった為その心のもやもやした気持ちを歌や音楽と言う形で表現するしかなかったのだと思います。
でもそれが歌であり音楽の力でありだからこそ、その時代を生きて来た当時の若者と今を生きる若者と求める物が違い過ぎるのも当然だと思います。
ただ、日本のJーPOPや昭和の歌謡曲の中でも世代を超えて受け継がれて行きそうなほど曲がある事も事実です。
自分も同じ日本人なので時々日本語の歌や音楽を無性に聴きたくなってしまいます。
やはり日本語の美しい響きは、西洋文化には無い物だからだと思います。
世代を超えて受け継がれて行きそうな名曲
例えば
一青窈(ひととよう)さん作詞・作曲の「ハナミズキ」等は本当に世代を超えて受け継がれて行きそうな名曲だと思います。
中孝介(あたり こうすけ)は、鹿児島県奄美大島出身の男性シンガーソングライターで作詞・作曲した「花」も世代を超えて受け継がれて行きそうな何処か優し気な歌詞の曲です。
作詞・作曲した本人も非常に思い入れのある曲だと語っています。
シマ唄をベースにした独特な声と歌唱法が評価され、「地上で、最も優しい歌声」と称されました。
次は、夏川りみさんの作詞・作曲の「涙そうそう」も沖縄民謡を取り入れた風情のある良い曲だと思います。
彼女は沖縄県石垣市出身のシンガーソングライターであります。
若者に刺さる曲 2010年代
尾崎裕也(おざきひろや)
父である伝説のロックシンガー10代のカリスマと迄言われた尾崎豊のご子息。
2歳の時、父・尾崎豊が死去。ですがその忘れ形見である裕也氏の歌声は父尾崎豊の声質に驚くほどそっくり尾崎豊の魂は息子の裕也氏にきちんと受け継がれています。
混迷の時代に希望と光を探し、歌を届けることを使命として、独自の存在感で輝き続けるシンガーソングライター。 1989年、東京生まれ。 2歳の時、父・尾崎豊が死去。母と共にアメリカに渡り、15歳までの10年間を米国ボストンで過ごす。慶應義塾大学大学院卒。2016年にDigital 1st Single 『始まりの街』 をリリース。
生前の尾崎豊の歌声と比べて見ると良いかも知れません。
藍井エイル(あおいえいる)
北海道札幌市出身。AB型。 伸びのある声質と圧倒的な表現力で、国内外のアニメファンから熱烈な支持を受ける日本のシンガーソングライター。彼女の音楽は、強い感情を呼び起こす歌詞とメロディ、そして激しいライブパフォーマンスが特徴である。
この曲も良いです。元気をもらえる曲です。
amazarashi(あまざらし)
コンスタントにメッセージ生の強い曲を作り続けるロックバンドです。
今回はTVアニメ「86―エイティシックス―」第2クールOPテーマ 『境界線』Music Videoを下記に張り付けて置きます。
amazarashiは、青森県在住の秋田ひろむ(Vo:G)を中心とするバンド。 日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝だが「それでも」というところから名づけられた。
このバンドは、 「アンチニヒリズム」をコンセプトに掲げ、絶望の中から希望を見出す辛辣な詩世界を持ち、前編スクリーンをステージ前に張ったままタイポグラフィーと映像を映し出し行われるdo独自のライブを展開する。
3DCGアニメーションを使ったMVは 文化庁メディア芸術祭で優秀賞を受賞するなど国内外で高く評価されています。
元女子高生ユーチューバで歌い手 Ado
Adoさんが作詞・作曲した2020年10月にリリースしたメジャーデビュー曲「うっせぇわ」は世の不条理と現代の生きにくさや鬱屈感を見事に歌詞にした曲でありYouTubeでバズㇼまくって若者に大ブレイクした曲です。
又、2024年2月~4月、全11の国と地域、全14都市で開催されたAdo初世界ツアー「Wish」。全世界が驚愕し、そして歓喜に沸いたTHE FIRST WORLD TOUR “Wish”の米ロサンゼルス公演の最強ライブ映像は下記になります。
他には、 EGOIST(エゴイスト)
2011年にアニメ「ギルティクラウン」から生まれ、2021年11月30日に10周年を迎えたEGOISTはryo (supercell)がプロデュースを手掛ける架空のアーティスト。
EGOISTのヴォーカルchelly(チェリー)は2000人を超える応募者の中から、選ばれた歌姫。
実際に存在しており、生ライブは勿論、ラジオ出演や、インタビュー取材を受ける事ができる。 最初はアニメの中の存在だったが、現在はそのアニメから飛び出し、人気アニメ「サイコパス」「甲鉄城のカバネリ」、アニメ映画Project Itoh「屍者の帝国」「ハーモニー」「虐殺器官」の主題歌などをこれまで務めており、他のアーティストに類を見ない存在となっている。
次は Aimer(エメ)
15歳の頃、歌唱による喉の酷使が原因で突如声が出なくなるアクシデントに見舞われるも、数年後には独特のハスキーで甘い歌声を得る事となる。
以上で若者に受けそうな曲をご紹介してきましたが如何だったでしょうか。
結論
音楽は時代と共に常に進化して行くものだと言う事だと思います。
それからもう一つ付け加えるなら確かに直球のど演歌やど民謡等の音楽ジャンルは個人としては余り共感ができませんでしたが、それでも日本発祥の伝統音楽として日本のサブカルチャーの一つにとり入れるべきだと思いました。
それに海外の方は日本発祥の演歌や民謡は海外の特にアメリカ等では、ブルースやカントリー音楽と同じで日本のソウルミュージックとして高く評価され海外でも演歌好きのコアなファンもいる様です。
演歌や民謡は、「大衆文化としての歴史的蓄積」と、「コアなファンによる支持」という2つの側面から、立派なサブカルチャーである。 アニメやメタルと同じように、それに魅せられ、語り継ぎ、奏でる人がいれば、それは間違いなく“生きた文化”です。
今回の記事は以上になります。
この記事を読んでくれた読者に感謝します。
本間義昌でした。
追伸
現在私は、
と言う所でデジタルでイラストを描いて又
その事業所のホームページに載せるコラムの執筆等の仕事を請け負っています。
現在は、体調不良の為在宅勤務で、デジタルでイラスト作成やコラムの執筆を行っております。
早く体調を整えて事業所に通所したいです。(泣)
サブカルビジネスセンター横浜 のコラム の方も、
普段一般には余り知らない有益な情報や為になる勉強になる役に立つコラムを執筆しておりますのでそちらの方も是非読んで頂ければと思っています。
ペンネームよっちゃんと言うペンネームでコラムを執筆しております。
今回は諸事情より26回目のコラムからいきなり30回目のコラムの掲載となりました事をご了承ください。
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