都合の悪い記憶を消す人たち。それは「加害の自覚」から逃げる為の防衛反応

どうもこんにちはブログの更新を行いたいと思います。

自分に都合の悪い記憶を消す人たちに付いて記事を書こうと思います

「自分たちが相手にどんな扱いをしたか」という記憶は、

時として加害者側からは都合よく忘れられてしまうことがあります。

これは心理学的にも説明がつく現象です。

忘れたのではない、「思い出したくない」のだとおもいます。

「そんなこと言った覚えはない」 「あなたの思い過ごしじゃない?」 

「今さらそんな昔のこと、掘り返さないでよ」

こうした言葉は、加害された側をさらに深く傷つける。 

なぜなら、「存在した痛み」そのものを否定されるからである。

 これは単なる「物忘れ」ではありません。 

都合の悪い記憶を記憶から追いやったことで、 

自分を守るために事実を曖昧にしていく心理の防衛反応なんだと思います。

こうした「記憶を消す人たち」の心のメカニズムと、それに苦しむ側の回復の糸口を探っていこうと思います。

記憶を曖昧にする人たちの心理:自己防衛の罠

人が都合の悪い記憶を消すのは、無意識に行われる場合が多い。 

それを「思い出さないようにする」ことで、以下のような心の平穏を得ている。

自己イメージの保全

「自分はそんな酷い人間じゃない」 

「子どもに悪いことを言った覚えはない」 

こう思い込みたい。過去の自分と向き合うのが怖いのだ。

責任回避 

「親としては十分やった」 

「あなたにも悪いところがあったでしょ」 

責任を感じたくない。だから、記憶を歪める。

対面(メンツ)を守るため 

特に日本の「恥の文化」では、他人から非難されることを極端に嫌う。 

だから、「なかったこと」にしてしまうことで自己を守る。

これは、ある意味で“生きるための技術”でもある。 

だが、その裏で犠牲になるのは、「傷ついた記憶を覚えている側」の人間である。  

嫌なことを記憶から消してしまう心理的防衛機制

これは「防衛機制」と呼ばれる、心を守るための無意識の働きの一つです。

主な防衛機制の例

抑圧:つらい記憶や感情を無意識のうちに心の奥に押し込める 

否認:都合の悪い現実を「なかったこと」として無視する

合理化:自分の行動を正当化するために、都合のいい理由を後から作る

投影:自分の嫌な感情を、相手が持っているかのように思い込む 

つまり、あなたの加害側は、自分があなたにしてきた冷たい言動、

酷い扱いを「記憶から消してしまう」ことで、

自分たちを悪者にしないようにしている可能性があります。

「なかったことにする」ことで、自分の心を守っている 「そんなこと言った覚えはない」

「そんなつもりじゃなかった」「あなたの被害妄想でしょ」 こういった言動はすべて、過去の自分の行動と向き合うことを避けるために出てきます。

でもそれは、記憶を消された側にとっては、とても物凄く残酷なことです。

傷を負った人間は、その出来事を今でもはっきり覚えているのに、 加害した側は平然としているその差が、さらに心をえぐるのです。

これは、学校での苛めや職場での苛めも苛めもそうだと思います。

加害者はキレイさっぱり相手を苛めた事自体忘れて自分は良い人で誠実な人だと思い込んでいますがいじめ被害者は苛められたことを未だに忘れて無いですよ。

被害者の苦しみ:消された記憶は、癒えない痛みになる 

傷つけられた本人がはっきり覚えているのに、

「そんなの覚えてない」「大げさだ」と軽く流される。

これは二重の否定だ。

実際に傷ついたという事実の否定でその時の痛みを記憶している自分自身の否定

つまり、「あなたの感情は存在しない」と言われているのと同じである。

これほど残酷な仕打ちはない。

記憶の食い違いは、人間関係を崩壊させる

 家族、兄弟姉妹、親子、夫婦深くかかわってきた関係ほど、この記憶の食い違いが深刻になる。

加害者は「そんなつもりじゃなかった」と言う、

 被害者は「なぜ謝ってくれないのか」と苦しむすれ違いは長年にわたって溝を深めるそして多くの場合。

「覚えている方」が過敏な人や恨みがましい人とされてしまう。

忘れることと、許すことは違う 

「いつまで昔のことを根に持ってるの?」

「過去は過去。水に流すべきだよ」

そんな言葉が、傷ついた人の心をさらに閉ざす。

ここで強調したいのは、 「許すこと」と「忘れること」はまったく別の行為だということ。

許すには、まず「起きた事実」をお互いに認識することが前提となる。 

謝罪もないまま、忘却を押しつけるのは、ただの加害の上塗りに過ぎない。

記憶の違いをどう扱えばいいのか? 

・第三者の介入が鍵になる 

家族や親密な関係の中では、感情の整理がつきにくい。 

だからこそ、カウンセラー、家族療法士、信頼できる第三者の力が必要だ。

 ・書き出すことで自分の真実を言語化する 

日記やエッセイ、手紙形式でもいい。 

過去にあった出来事を自分の言葉で整理することで

「事実を否定され続けた苦しみ」から少しずつ解放されていく。 

・自分を信じることが出発点 

他者の記憶がどうであれ、自分が感じた苦しみは「事実」である。 

それは誰にも否定できない。

 ・記憶と向き合うことで、人生は再構築できる

都合の悪い記憶を消す人たちは、加害者であると同時に、自分の未熟さと向き合えない弱者でもある。 

その連鎖を断ち切るには、「記憶に向き合い、言語化する勇気」が必要だ。 

あなたが「覚えている」ことに意味がある 

相手がどれだけ忘れたふりをしても、 あなたの中に「はっきりと覚えている感情」がある限り、その体験は消えません。 

むしろ、忘れてはいけないことでもあります。 

なぜならそれは、 「同じような思いを他の人にさせたくない」 

これを言葉にして、世の中に伝えたい」 という力に変わるからです。

これからどうするか

過去にされたことを、無理に許す必要はありません。

でも、それを自分の中で「意味ある経験」に変えることは可能です。 

 あなたが声を上げることで、 同じように「忘れられた傷」に苦しんでいる誰かが、

「自分はひとりじゃなかった」と気づくかもしれません。

纏め

・人は都合の悪いことを「なかったこと」にする心理を持っている

・それは加害者の心を守る一方で、被害者の心を二重に傷つけることでもある

・記憶を消された側の「覚えている感情」には価値と意味がある

・忘れられた過去を、癒しや発信の力に変えていくことは可能

忘れることと許すことは違う真実を言語化し、自分の中の事実を信じ抜くことが癒しの第一歩

・第三者の力を借りることも、回復には効果的 必要であれば、

今回の記事は以上となります

この記事を読んでくれた読者に感謝します。 

 本間義昌でした。 

 追伸 現在私は、 B型事業所サブカルビジネスセンター横浜

と言う所でデジタルでイラストを描いて又

その事業所のホームページに載せるコラムの執筆等の仕事を請け負っています。

現在は、体調不良の為在宅勤務で、デジタルでイラスト作成やコラムの執筆を行っております。

早く体調を整えて事業所に通所したいです。(泣) 

サブカルビジネスセンター横浜 のコラム の方も、 

普段一般には余り知らない有益な情報や為になる勉強になる役に立つコラムを執筆しておりますのでそちらの方も是非読んで頂ければと思っています。 

 ペンネームよっちゃんと言うペンネームでコラムを執筆しております。

今回は諸事情より26回目のコラムからいきなり30回目のコラムの掲載となりました事をご了承ください。 

 サブカルビジネスセンター横浜、次世代型就労支援  






鬱の事に関して,もっと知ろう。今は心を病んでいる人達が沢山いる時代。

私は2017年から2019年に掛けて2度の脳梗塞を患い左足と左腕が思うように動かず両手とも握力が堕ちおまけに言葉も思うように喋れなくなりました、しかしだからこそこんな私でも発信できることがあるのではないかと思いこのブログを始めました、主に私の考えや最近のニュースや事件等を自分の意見言おうと思っております。今までに4000冊の読書を読み迄続くかわかりませんがどうか応援よろしくお願いします。

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