こんにちはブログ更新です今回ご紹介する書籍は、社会評論家であり作家でもある橘玲さんの著書「無理ゲー社会」という本を要約して行こうと思います。
初めに注意しておきます。この本はなかなかショッキングなタイトルでかなり見も蓋も無い世の中残酷な難易度の高い社会に変わりつつある事を痛烈に皮肉って人生と言うゲーム=人生ががクリアできない、これ無理ゲーだろ橘玲氏は言っておられます。
その様に思った事これを読んでいるあなたも一度はあると思います。
ただ本書の言う無理ゲーはゲームの中の話では無く世の中の現実世界での話なんですよ。では橘玲さんは具体的に社会のどんな部分を無理ゲーと表現しているのか結論から言うと自分らしく生きられる世界を無理ゲーと言っているのです。
この主張を聞いてどう思ったでしょうか?
おそらく自分らしく生きられる世界の何が悪いの最高の世界じゃんと思われた方が多いと思います。 もちろん自分らしく生きられる世界には、良い側面もあるでしょう。
しかし自分らしく生きられる世界には大きな落とし穴が、
あってむしろ残酷な社会を生み出す原因になっていると言うのが橘さんの主張なんですよ。
今回の動画ではそんな橘さんの主張する事を解き明かしつつこの世のリアルの残酷過ぎる世界に変わりつつある世の中に触れていただこうと思います。
具体的には以下3つのテーマを解説していきます。
1、何が無理ゲーなのか
2、メリトクラシーの落とし穴とは?
3、無理ゲー社会を生き抜く方法は。
では一1つ目のテーマから見て行きましょう
1、何が無理ゲーなのか?
何が無理ゲーなのか?
まず本書は衝撃的なアンケート結果から始まります。
ある政治家がSNSであなたの不安を教えてくださいと聞いた事がありました。
すると信じられない要望が殺到したんですよ。
ちょっとショッキングな容貌の言葉が出されていますので直接の引用は控えますが相当に絶望に満ちた要望です。
これらの要望に現れているのは単なる生きづらさではありません。
対処不能な現実を嫌が応でも突きつけられてしまい何も希望が持て無いまさに無理ゲーに直面した様な絶望が現れています。
では何故、彼ら彼女らはこんなにも絶望に満ちた人生を送っているのでしょうか?
橘さんは原因として世界がリベラれ化している事を主張しています。
リベラルとは自由な世界とか自由主義と言う意味があります。
つまり世界がリベラル化しているとは自分の人生は自分で決める全ての人が自分らしく生きられる社会を目指すべきだと言う価値観が広がっている事を意味しているのです。
自分らしく生きられる社会と聞くとなんだか悪い気はしないですよね、誰だって制限だらけで自分らしく生きられない社会は望んでいませんよね。
だから自分らしく生きられる社会は良い社会の様に思えます。
しかしです。
この様な社会には、デメリットもあるんですよ。
では自分らしく生きられる社会を目指すと今の社会と比べて具体的にどんな変化が起こるのか?
それは。橘さんはリベラル化の加速によって自己責任がより強調されより加速化して来ると主張しているんですよ、何故かと言うと自分らしく生きる事と自己責任はセットになっているから何です。
例えば江戸時代等の身分制度の士農工商の時代だった頃や、中世等の貴族社会・インドのカースト制度などでは、そう言った身分制社会では、生まれた時の身分によって職業や結婚相手など人生の方向性が生まれた瞬間にある程度人生が決まってしまいます。
これはこれでとても理不尽な事ですがその一方で責任を問われる事はなかったんですよ。
なので自分の人生の結果がどうであれ生まれや見分の所為に出来る言うのが身分制社会の特徴だったんです。
良い結果が出ても悪い結果が出てもその要因は生まれや身分の所為に出来たんですよ。
しかし自分らしく生きられる社会ではどうでしょうか?
どんな人生を歩むのもその人が決められる分けですからどんな選択をしてどんな生き方を選ぶのも自分次第であり成功も失敗した事でも全て自己責任と考えられます、これが自分らしく生きられる社会の一番怖い所何ですよ。
今までは、どんなに悪い結果が出てもそれは生まれや身分の所為に出来たんですよ。
だから自分の能力を惨めに思う事も無かったし身分や生まれが違う為だからこそ、諦める事が出来たんですよ。
当然卑屈に感じる事も無かったんです。
しかし全てが自己責任となってしまい、何かに、失敗した時に大きな絶望を味わう事になるんですよ。
言葉にするなら「なんて俺はダメな奴なんだろう」と言う感じです。
これが無理ゲー社会を生み出す原因となっています。自分らしく生きられる社会には当然良い側面もあります、それは純粋に能力や知力が評価される時代に変わってしまった事です。
その様な能力主義・知力主義社会の事をメリトクラシーと言います。
詰り個人の持っている能力や知力によってその地位が決まり能力や知力の高い物が統治する社会を刺すメリトクラシーは、努力の出来ない物を差別・分断化しこのメリトクラシーからは努力しなかった者には厳しい現実が待っているが、努力した人は報われる様なイメージを受けます。
このメリトクラシーを元に世の中が出来上がると自分らしく生きられる社会において、失敗した人は自業自得の様に思えてきますよね。つまり失敗してしまったとしても努力+頑張りが報われる世界で努力や頑張れなかった又は頑張る事をしなかったお前が悪いと言う事です。
しかしこの発想には大きな落とし穴があります。
では次にこのメリトクラシーの落とし穴を見ていきましょう。
2、メリトクラシーの落とし穴とは?
メリトクラシーの落とし穴とはメリトクラシーには教育によって学力は幾らでも向上する、
努力すればどんな夢でも叶うと言う信念があります。
この信念がリベラル化を加速させているのです。
ただは橘さんは、この信念をそんな物は神話だとバッサリ斬り捨てています。
何故橘さんはその様に言い切れるのか?その根拠を解き明かしていきましょう。
先ずリベラルな社会では差別は許されません。
ここで言う差別とは本人が選択出来ない属性で選別する事を意味しています。
詰り、国の政策・性別・年齢・等で選別するのは差別になるのです。
従ってリベラルな社会では本人の努力によって向上させられる物を選別の理由にする事が求められます。
そして、本人の努力によって向上させられる物の最も代表例が学歴です。
学歴が低いと言う事は本人が努力しなかった結果だからそこは自己責任だよねとも言えます。
だから学歴を選別の理由にしても差別じゃないと言う言い分です。
これだけ聞くと筋が通っている様には思えます。
本人が勉強さえ頑張れば生まれに関係なくテストで良い点を取る事は出来そうです。
以上のお話がメリトクラシーの社会を支える発想となります。
しかしこの発想にも大きな落とし穴があるんですよ。
ではここから大きな落とし穴と言える根拠を2つ説明します。
一つ目の根拠 それは親から子に知能は遺伝するからです。
行動心理学が半世紀にわたって積み上げた知見によると、知能の遺伝は実は年齢と共に上がり思春期を終える頃には70パーセントに迄到達するとされています。
詰り入試を受ける年齢になる頃には親の知能の70%が子供に関わってくると言う事です。
この事実を踏まえれば学力で選別するのは差別に当たります。
何故なら生まれた瞬間に知能がある程度決まってしまっていると言う残酷過ぎる現実があるからです。
詰り学校の入試の結果で選別するのを許した瞬間に、自己責任を根底としたリベラル化等成り立たなくなる事になります。
2つ目の根拠 それは能力を獲得出来たのは偶然だからです。
この後、今日は以前のブログでも紹介させて頂いた書籍あるのですが「実力も運のうち能力主義は正義か」が絡んできます。
「実力も運のうち能力主義は正義か」の中著者のマイケル・サンデルは成功できたのは偶然つまり運のおかげなんだよと言う主張をしています。
何故成功したのは運のおかげといえるのか?
それをは成功の要因となった能力を獲得出来たのは偶然の結果だからです。
1つ目の根拠でも言いましたが子供の知能の子供の知能に親の遺伝は大きく影響しています。
また入試で良い点を取る為の教育を受けられるのは親がお金持ちの子供ばかりです。
もちろん子ども自身が勉強する努力も必要ですがその努力が出来る環境をゲットできたのは生まれた環境が良かったからとも言えますよね、この様に考えると学歴は勉強と努力によって向上させられるとするのは大きな問題がある事がわかります。
しかし現実を見ると学歴は本人の努力で獲得出来る物とされています。
したがって世の中は学歴によって給料や地位が決まるのが当たり前となっています。
そしてその現実を背景としてメリトクラシーを良しとする人は努力すれば良い暮らしが出来るんだから努力すれば良いじゃんと言う理屈になってくるんですよ。
ただ今まで歴史の中から生まれや身分によって学歴を獲得出来る難易度には相当なバラツキがあります。
しかしそんな事実を、見て見ぬ振りをされてしまい「この世は無理ゲーだわ」と絶望する人が生まれてしまうのです。
ここまでの話を聞いた事でこの世は、無理ゲー社会が生まれる原因が何と無く掴めて来たと思います。
では最後にそんな無理ゲー社会を生き抜く方法を考えていきましょう
3、無理ゲー社会を生き抜く方法は?
無理ゲー社会は生き抜く方法は結論から言うと橘さんは無理ゲー社会を生き抜く方法として以下のような言葉を残しています。
「生まれ堕ちた瞬間に全てが決まっている分けでは無く自分の手で運命を切り開いて生きて行く事は出来るはずだ、これからの時代に求められているのはこうした不都合な事実を受け入れた上でよりよい社会を構想する進化論的リベラルなのではないのだろうか?」
まず伝えておきたいのはこの理不尽な不都合な事実を一旦受け入れてしまいましょうと言う事です。
どんなに理想的な社会を目指そうとも完璧に平等な社会等実現出来る分けではありません。
これからも格差は存在し続けますし失敗した事も努力が足りない・頑張りが足りない・怠けてるのと徹底的に自己責任にされ続けるでしょう。
しかしその現実を変えるのは現時点の今の世の中では難しいのでまずはいっそこの現実を受け入れてしまった方が良いのです。
格差も理不尽もある残念で残酷な事実ですがこれは受け入れましょう。
ただ絶望する必要はありません。
何故なら生まれた瞬間に全ての結果が決まる分けじゃないからです。
親からの遺伝で決まる部分はだいたい50%前後となっています。
これは変えようが無いですから諦めるしかありません。
ただ裏を返せば残りの能力の50%は自分の頑張りや努力次第で変えていけるのです。
もちろん、そこには家庭環境や家庭外環境も生まれた瞬間にある程度決まっていると思います。
それでも厳密には能力や知力の50%は自分の努力で変えていけるかも知れません。
しかしここで言いたいのは厳密な数字の話じゃありません。
ここで言いたいのは理不尽が世の中だけどある程度は自分の手で運命を切り開けるよと言う事です。
自分じゃどうしょうも出来ない事は諦めて、自分の手で切り開いて行ける事に力を注げば少しは絶望する人も減っていくのかなと思います。
これで無理ゲー社会の解説は以上になります。
今回のお話はなかなか聞くに堪えない程、残酷な話しだったのでちょっと暗い気持ちになったか方もいるかも知れません。
ただこれが今の世の現実ですから逃げずになんとか受け入れて欲しいと思います。
暗いお話が続きましたが最後に光への道標は指し示したつもりです。
努力で変えられる部分もありますので絶望しすぎる事も無く変えられる現状だけに意識を向けていきましょう。
また今回ご紹介したのは本書の一 部分であり、まだまだ紹介できていないお話がたくさんあります。
今回は、やや表現をマイルドにしましたが本当はもっと残酷なお話や表現があります。
勇気のある方 是非今手に取って読んで見てください。
更に補足を加えるとただでさえ残酷な資本主義社会からより残酷な能力・知力主義社会になって行く、そして上級国民と下級国民の分断化が起こっている。
この書籍も橘玲氏が執筆した本です。上級国民と下級国民に付いて書かれた本なので興味が有りましたら上のリンクからご購入下さい。
要はただでさえ残酷な資本主義社会からより残酷な能力主義・知力主義社会に変わってしまったんだと言う事です。
残念ながらその様な無理ゲーを強いられるのは一部の人達で上級国民的な方々ではありません。
何となく想像が付くかと思います。
無理ゲーを強いられるのは不運にも能力低めで普通又は並の能力しかない様な凡人こそプレーする状況に追い込まれているそんな平凡で凡人の下級国民と言われる方々なんです。
そして努力不足・努力が足らない・もっと努力しろ等・頑張りが足りない等と全てを自己責任で論破されると言う時代に変化してしまいました。
努力したとしても努力の仕方を間違えたり、間違った努力をしたりして間違った方向に努力してしまう事もあります。
資本主義社会と言うのは、詰りお金こそが正義の時代より能力と知力のある物だけが全てとされる能力主義・知力主義社会の方が一切の言い訳が出来ない状況に追い込まれるんですよ。
だってお金が全てであればですよ。
例えば、親からの遺産を受け継いだけのお金持ちとか宝くじとか投資で1発当てただけの様な自分の頑張りとは一切関係ない俄か成金成功者だって居た訳じゃないですか。
私がお金持ちだったしてもそうじゃ無いとしてもそれは私の頑張りとは関係ない場合もあるんでその事で言い訳がしやすかったんですよ。
自分自身も言い訳しやすかったですし、社会全体としても、
そこをわきまえてくれていた人もいたので、努力不足だとしつこく追い詰められる様な事は少なかったんです。
ただこれからの時代では能力・智力主義社会は違います。
最も大きな成功を収めるのはお金を持っている人より才能と努力を極め類まれな能力を努力と頑張る事を続けられる人達だけが正当に評価される時代になってしまいました。
ここで最も重要なポイントは元々産まれ持っていた才能に+して頑張って努力が出来る事も含まれてしまっている事何です。
この事で最も生き辛い思いをしているのは以前のブログ記事のテーマに上げさせてもらった弱者男性なのでは無いのでしょうか。
ただ橘さんも言っておられるように、能力や知力の50%は自分の努力や頑張り次第で変えていけると思います。
そうでなかったら本当に救いの無い記事になってしまうだけです。
君主論と言う書籍を後に世に遺したマキャッベリの遺した
君主論の中にも似た様な事が書かれて下ります。
それは、
「人類の運命と言うのは、50%は運命の女神(フォルトナ)が握っているが、もう半分の50%は人類の決断・意思・選択・努力・行動等の人類の力量(ビルトゥ)に委ねられている」
と君主論の中に書かれております。運命の女神(フォルトナ)は非常に気まぐれな性格で気まぐれで人類を見限る事もあります。この時に運命の急変(変転)が起こります。然し、人類の運命の50%は人類の力量(ビルトゥ)に委ねられているのだから運命の急変が起きても
それがどんなに想定外の出来事が起こったとしても事前にあらゆる万全の備えさえ怠らなければ最悪どんな出来事が起こったとしても、50%程度で抑える事は出きると君主論の中に書かれています。
ここに書かれているいる様に
もちろん家庭環境や家庭外環境も生まれた瞬間にある程度決まっていると思います。
ですがここで又しても更に残酷に追い打ちをかける様な酷な事を言う様ですが、実は運さえも親から子に50%は遺伝されてしまうからです。
ただ運にも運を掴める確率を上げる方程式が化学的に確立されています。
運の方程式は基本は下記の方程式になりますが、
「幸運=行動力×多様性+察知力×回復力」
これを上に上げた方程式にもう一つ付け加えるならば下記の様な方程式になります。
「幸運=行動力×多様性+察知力×回復力+あなたを上に上げてくれる人と出会える確率の高い環境や場所にその身を置く箏」これが私個人で考えた私なりの運の方程式です。
詳しい事は、下記のブログ記事をお読みになって下さい
幸運と言う物は科学的な方程式によって引き寄せられる事が分かってきた。
厳密には能力や知力の50%は自分の努力しだいで変えてはいけるかもしれません。
然し、ここでも残念ですが、努力が出来ると言うのも親からの遺伝性もあります。
言い換えれば努力が出来る・頑張れると言うのも才能の一つ何ですよ。
ですが現実にどんなに努力し様にも如何努力したら良いか分から無く如何頑張ったら良いか分から無い人も現実にいるのです。
これからは、特に弱者男性や弱者女性に取っても普通の人間らしい日常の平凡で安心な平和な毎日を送るだけでも贅沢な難易度の高いハードモードな時代になって来るのかも知れません。
人間の社会の中でも強い物は生き残り弱い人は、徐々に滅んでいく弱肉強食の論理がこの令和の時代にゆるやかに広まっている気がします。ある意味昭和の時代だった頃よりも
平凡で凡人の人に取っては、より非常により過酷でより残酷なよりきつい時代がやって来るものと思われます。
今にしておもえば昭和の頃の時代は太平洋戦争によって日本がぼろ負けし、何もない状態の貧乏になってしまった国、日本を一からもう一度、やり直し敵国だったアメリカの協力もあって日本を立て直すと言う目標があったから頑張って働けばお金は給料と言う形でもらえたのでそれで家や食堂等でお腹一杯食べたり飲んだりすることが出来てこれから先の未来には希望がもてる明るい未来が遣ってくると信じたからこそ一生懸命に労働に励み働いて希望が持てていた時代でした。むしろ希望があったからこそ頑張れた時代でした。
ですがこの令和の時代に入ってから今の若い世代や既に40~50代の様な就職氷河期に加え派遣労働法の改正や2008年のリーマンショックによってまともな職に就く事出来ず能力や知力を伸ばす事も出来ず散々苦労して来た世代はさらに生き辛さを抱える事になるかも知れません。
若者世代や40~50代のロストジェネレーション世代・失わされた世代と言う意味です。
(別名、団塊ジュニア世代とも言われます)もっと言えばこの世代は、国政や両親・学校の教師等団塊の世代の大人達によって自分達の保身の為に裏切られ見捨てらされた世代でもあるのです。
それこそ何の展望も希望も無く絶望するしか無く40~50代を救うにしてももう男女と共に、結婚適齢期を過ぎてしまった以上今更救おうとしても既に手遅れです。
40代前半の女性ならまだ子供がが産めるギリギリの年代ですが、それでも高齢出産である事にある違いは有りません。
40代の高齢女性ともなると体力も気力も落ち身体も難が来て衰えが見え始めている年齢です。
これからもしこの世代を本当に救うと言うのなら救うとか、自立を促すと言う政策を切り替えて以下に今後のこの世代の老後やこの世代の介護をどうするかと言う等とどう安心して暮らせるかと言う政策に切り替えた方が余程現実的です。
だって今更時間を巻き戻す事も出来ないし、やり直しの聞かない年齢に達して居るんですよ。
それを今更政府は、リカレント教育だとか学び直しとか行っているけどこれを聞いたロスジェネ世代の人は、何度でも言いますが、彼ら彼女達に取っては
リカレント教育だの学び直しをしている時間も無いんですよ。彼ら彼女達の世代は、待ったなしで学びなおしている時間の余裕もないんですよ、
「何を寝惚けた事を言っているんだ」と思います、
特に女性は50代になると閉経が起こり子供が産めなくなってしまいます。
これもこの問題を先延ばししてきた問題の尽けが、令和の時代に回って浮き彫りになって来ただけだと思います。
もしかしたら政府や官僚や大会社の社長や会長などの資本家達は、40代〜50代のロストジェネ世代を救う所か既に殺しに来ている政策を取っている様にも感じます。
それはそうですよね、40代〜50代のロスジェネ世代の人達が全員死んでくれさえすれば、一気にこの問題が片ずく訳何ですから、今迄昨送りして来た問題のつけも払わずに済むんですから、政治家達に取っては願ったり叶ったりですよ。
政治家にも何人かは、この世代の人等に一刻も早く死んで欲しいと思っている政治家も多いのでは無いのでしょうか。
結局40代以降の寝たきりの高齢者や認知症の高齢者や身体・知的障害者等は「この日本に取っては、何の役にも立たないお荷物だから病気でも自殺でも災害でも交通事故でも餓死でも良いので、早く死んでくれ」それが政府の嘘偽りない政府の本心なのかも知れませんね。
せめてこの問題にもっと早く少なくとも20年早くこの問題に着手出来たなら第三次ベビーブームが起ってた可能性があります。
然し、40~50代のロストジェネレーション世代は、経済的な問題で子供を産みたくても産めない状態だった人達が40~50代人達なのです。
結局政府は、若者達に大して、正社員と言う働き方を全て奪い団塊の世代の雇用だけを守り、
それは政府も政治家も同じで結局は、この国は、金を持っている団塊の世代に都合良く作り変えられて団塊の世代の雇用だけを守った全ては、団塊の世代の保身から当時の若者を見捨てた結果こう言う結果になったとしか思えません。
そしてこの日本を実質的に支配しているのは、自民党の団塊の世代の男性議員なのでは、無いのでしょうか?
何故なら自民党の大半が団塊の世代の男性議員が大半をしめているからです。
自民党にはもうこれ以上この国の舵取りを任せて置く訳には行かないと想います。自民党こそがこの国をここまで衰退させた元凶だからです。
もし自分が、総理の選挙で1票入れるならばれいわ新選組の山本太朗党首に1票入れると思います。
少なくともYouTubeで自身のチャンネルを作ったりその中で自分の考えや色々活動し行動力のある人なので少なくとも彼が国の総理に就任すれば直ぐには国が良い方向に動く事はないかもしれませんが少くともなにかやってくれるのではないかと私は、そう思います。
彼は中々見所があります。
少なくとも彼の話しを聞いてこの国を憂れい何とかしたいと言う熱意は本者だと感じました。
では、
れいわ新選組所属国会議員の全質疑を、
字幕入り動画で視聴できます。
収入も不安定だった為に、貯金も出来ず、年金の積み立てや国民保険も碌に払う事も出来無かった人達もこの世代には、大勢います。
そして現状生活保護の申請しか無いでしょうが、せめて生活保護の審査基準をもう少し緩めて上げる位の配慮はしてあげる箏だけでも出来ないのしょうか。生活に息詰まり自ら命を絶ったロスジェネ世代も大勢います。
この世代の人達は殆んどは、昭和の好景気の時代に産まれてしまった為に。殆んどバブルの恩恵にも与れず団塊の世代よりも苦労している世代であり昭和の頃の時代を実際に見て知っている昭和の時代の最後の生き証人で有り昭和時代を知っている最後の世代であり最も不運な時代を生きた世代だと思っています。
団塊の世代の価値観を徹底的に叩き込まれ団塊ジュニアの子供は、親や大人の言う事を黙って文句も不平・不満を一切言わず逆らわず親や大人の言う事をだまって聞いてその通りに実行し言われた通りに生きて入れば良いんだ。
団塊ジュニアのロストジェネレーション世代の子供等はある意味1人の人間として人間扱いして貰えなかったかも知れません。
その様な価値観が小学校でも中学・高校でも大人や学校の教師達の言う事は絶対であり、逆らう物なら容赦無く張り手・ビンタや時には、竹刀で殴られたり叩かれたりするのが当たり前で、当時の事を振り返ればまるで軍隊みたいでしたね。
親や大人の言う事は子供に取っては、絶対と言う価値観が当たり前でした。
ロスジェネ世代を引いては、団塊ジュニア世代をここ迄どん詰まりにさせ自らのそして、自分達だけの保身と安心な生活だけに走った団塊の世代の大罪は決して軽い物では無いと思っております。
そもそも団塊の世代は殆どが戦後に生まれた人達で、戦争が終わって平和になった時代を享受して起きながらも自分達がこの国を作ってきたんだと豪語してますが、確かにこの世代は殆んどが働き者でありこの時代は長時間労働があたりまえでした。
今では完全に死語になってしまいましたが、当時は、「起業戦士」とか「72時間働けますか?」とか中には、家にも帰らず、そのまま会社に寝泊す事なんて当たり前にあった時代です。
家庭を省みず仕事さえして家にお金を入れてればそれでよかった時代なんですから、ここまで行くと最早ワーカホリック(仕事中毒)仕事依存性と揶揄されるくらいそれだけ、この世代は働き者が多かったのです。
それだけ働いて日本の経済を廻し文明を発展させて来た実績は認めますが、そもそもその様な人達は勘違いしているバカな人で無能で平和ボケしている世代ですよ。
これが、戦時中に産まれた人は既に80〜90代になっている為この世代がその様な事を言うのは、まだ説得力があります。
ですが団塊の世代の人達は、如何でしょうか?
昭和の戦後に生まれたこの団塊の世代は完全に平和ぼけし年功序列の制度もあった為特に仕事の、能力が無くても歳を取るごとに無条件で課長・部長等に昇進し昇進によって給料も上がっていった時代であり仕事の能力など殆どない言わば無能な世代が団塊の世代ですよ。
そして会社では当時は、終身雇用が当たり前で60歳で定年で退職する事になっても多額の退職金と年金によって老後の生活も保障されてた世代なんですよ。
更にはバブルの好景気の恩恵にも恵まれ、正にこの世の春を謳歌した世代がいわゆる団塊の世代だったんです。
ですがバブルが弾けて就職氷河期が来た為に団塊の世代の人達は、若者から正社員と言う働き方を全て若者から奪い団塊の世代の雇用と安心な生活だけを守り当時の若者を見捨てて行く方針や政策に切り替えたのです。
だからこそ先ずは、現状では生活保護しかないのであれば、審査基準をできるだけ緩めて上げるぐらいの配慮くらいしてあげても良いのでは無いのでしょうか?
それから思い切ってベーシックインカムの導入に踏み切るのも良い方法かと思いまさす。
財源は大富豪などの大金持ちから富裕税として取っても良いのではないかと思います。
どうせ富裕層の人達は死んでまで稼いだお金を全てあの世に持って行く事は、出来ないんですから、生きている間に金を使い切ると言うのは、中々出来ないと思いますよ。
それなら生きている時に一つ善行をしたと思って貧困層やロスジェネ世代の団塊ジュニア世代の人等に公平に分配してあげれば良いと思いますよ。
それさえも難しいと言うのなら一体、政府や政治家の存在意義は何処にあるんですかね。
そもそも政府や政治家達の役目は国民の生活を安心して毎日の平和な日常を提供する事が政府と政治家の役目だったんじゃないのでしょうか?
更に言えばこの本に書いている事にドリームハラスメントと言うワードも若者世代を更に追い詰めてしまう結果があります
ドリームハラスメントとは
若い世代に「もっと夢をもて夢は必ずかなう」等と若者を煽り若者世代に夢を強要したりする事です。
会社の面接でもそうですが、「あなたの夢は何ですか?」とか「10年後の自分は、どんな人間になりたいですか」と言う質問が良く出ますが、先立つものはやはりお金を稼ぐ事が先です。
そんな人に夢がどうのこうのと言ってる人は。今の現実を知らない無知な世間知らずだと思います。
その様な夢の強要を若者に強引に押し付け夢に対して圧迫感を感じて夢に押しつぶされている若者達も大勢います。
確かに夢を追うのは良い事なのかも知れませんが夢を追いかけたくてもその夢に挫折した人も入れば夢に破れたり、夢に負けて夢を追う事を諦めた人もいます。
夢をかなえられるのもやはり生まれ持った並外れた才能や能力・知力を持つごく一部の人達かお金持ちの家に生まれた人等のごく一部の人だけが夢をかなえられるのです。
その他に、障害を患ってまともに働けなく為ったり貧困でその日その日を生きるだけで一杯一杯のワーキングプアの人も入れば親の介護等、特に親のどちらかが認知症に罹った場合、親の介護で夢追う暇さえ無いと言うヤングケアラーに陥っている若い人等に対してもそんな状況の人にも「夢を持て」と言い切れるのでしょうか。
だからこそ「不都合な事実を先ずは受け入れましょう」と橘さん言う通り不都合な事実を受け入れた上で自分は何が得意なのか自分の強みは何か、どんな事に努力出来るかを必死に考えた上で変えられない物は早々に見切りを付け努力によって変えられる物に意識を向けそこに自己投資し頑張った方が良いと思います。
本日のブログは以上になります
今回の記事を読んでくれた読者に感謝します。
本間義昌でした。
追伸。
在私は、 B型事業所サブカルビジネスセンター横浜
と言う所でデジタルでイラストを描いたりその事業所のホームページに載せるコラムの執筆等の仕事を請け負っています。
の方も普段一般にはあまり知らない有益な情報や為になる勉強になる役に立つコラムを執筆しておりますのでそちらの方も是非読んで頂ければと思っています。
ペンネームよっちゃんと言うペンネームでコラムを執筆しておりこれで通算11回目となります
是非こちらの方のコラムも読みに来てくれると嬉しく思います。
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