身体障害者・精神障害者・知的障害者だろうと生きる存在価値がある。輪廻と転生の違い・優性思想と言う破綻した考え

ブログの更新です、今回は自分が2度の脳梗塞に左足と言葉に障害が起こりうまく喋る事が出来なくなってその間に中程度のうつ病と診断され、物理気にも精神的にも多くの物を失って来たような気がします。今私は、外に出歩くにも杖をついて外出している状態です,正直自分の体は左足は、まるで借り物の様な重さで左腕もまるで借り物の様な違和感があえります。

さらに手の握力や手の力も衰えてきている様で鉛筆やペンもたどたどしい字しか書けない事にもどかしさを感じてしまいます。パソコンでキーを叩く力も段々衰えて来ている様な気もします。

まるで自分の体が一気に年老いてしまった気にもなって、もう50も手前の年齢ですが一気に70~80の爺さんになってしまった気分ですよ。

今現在は就労支援センターに週4日午前だけ就労訓訓練に通うようにしております、そんなわけで良くも悪くも身体障害者3級の手帳を役所から交付してもらい横浜市の運営の横浜市内の神奈中バスや横浜市営地下鉄は無料で乗れるパスも交付されました、そんなわけで同じ障害者として思い出した事件があります。何年か前にこのような事件が起こった事ったはご存じの方も多くいらしゃると思います。

知らない人の為に事件の詳細を引用した物をを張っておきます・

2016年7月26日相模原市にある県立の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害された事件。

6年前の7月26日未明、入所していた人たちが次々と刃物で刺されて19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負いました。 事件の直後、施設の元職員の植松聖死刑囚(32)が近くの警察署に出頭して逮捕され、その後、起訴されました。 植松死刑囚は逮捕直後から、「障害者は不幸しか作らない」とか「意思疎通できない障害者は殺そうと思った」などと差別的な主張を繰り返しました。
2020年3月の判決で、横浜地方裁判所は、「施設での勤務経験から重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」と指摘しました。そのうえで、「19人もの命を奪った結果はほかの事例と比較できないほどはなはだしく重大だ」として死刑を言い渡しました。 弁護士が控訴しましたが本人が取り下げ、死刑が確定しましたが、ことし4月、本人が横浜地方裁判所に再審=裁判のやり直しを請求しています。
現場となった津久井やまゆり園では事件当時、重度の知的障害がある人たちおよそ150人が暮らしていました。事件のあとほとんどの建物は解体されました。 県は当初、同じ規模の施設に建て替える方針でしたが、障害者団体などからは「地域に根ざした小規模な施設にすべきだ」といった反対意見が寄せられました。 一方、利用者の家族からは「地域で受け入れられないので、施設にお願いしている」とか、「同じ規模で再建してほしい」といった声が上がり、再検討の結果、現地と横浜市内の2カ所に以前の半分以下の定員およそ60人の施設を再建することになりました。
去年、現地には「津久井やまゆり園」が横浜市には「芹が谷やまゆり園」が完成し、新たな生活が始まりましたが、多くの利用者はそれまでの5年間、仮設の施設を転々とする生活を余儀なくされました。 2つの施設は、いずれも部屋がすべて個室になり、食堂やキッチン、風呂などを備えた「ユニット」ごとに10人ほどのグループで生活しています。 施設の再建に際しては、やまゆり園を運営している社会福祉法人、「かながわ共同会」の支援のあり方についても議論になりました。 事件のあと、県が行った有識者による検証で、一部の利用者について「見守りが困難」という理由で、外から施錠した個室に長時間拘束していたことなどが明らかになり、支援の改善を求められました。 これをふまえ、50人が暮らしている津久井やまゆり園では希望をよりくみ取った支援を行うよう努めるとともに、本人や家族の意向を尊重しながら、グループホームへの移行を進めていくとしています


正直私自身も身体障傷害者になった以上他人事とは思えずひたすらショックを受けてしまった事だけは確かです。

中には意思の疎通が出来ないそれだけの理由でその人を心失者( ※ 心失者と言うのは加害者である植松死刑囚が作った造語であり実際には心失者と言う言葉は存在しません)と蔑んで見下し、徹底して差別しておりました。

例え意思の疎通が困難であったとしてもやりようによっては最低限度の意思の疎通は可能だったと私は思います。

一例をあげますがこれはすでに亡くなった父に対して自分が考えた方法ですがそれぞれに簡単な単語を書いたプラカード等を作ってそのプラカードに「トイレ」「食べる」「食べない」「飲む「飲まない」「テレビ」「音楽」「ラジオ」「寝る」「痛い」「痛くない」「暑い」「寒い」 等のプラカードをいくつか作っておけば最低限度の意思疎通やコミニュケーションんは履かれたはずです。

喋る事も、困難だったならば伝えたい単語のプラカードに指をさしてもらえば最低限度の意思疎通は出来た筈です。手も不自由でろくに使えない人は、順番にいろんなプラカードをみせて目的のプラカードに対して目を瞬きしてもらえば良いと思います。その際、「いいえ」「はい」でもいいえは、瞬きを一回、はいは瞬きを2回と言う風に事前に取り決めておけば最低限度の意思の疎通は十分に可能だったと私は思いますし

例え知的障害者であったとしてもその人一人一人にはきちんとした意思や感情もあります。

ただ顔の表情や如何表現したら良いかが分からない人なだけで一人一人がきちんとした意思もあれば感情もある一人の人間なんですよ。

知的障害であるが為にむしろ感情に対しては純真無垢な子供の様な感性を持っている事も非常に多いと思います。

そもそもスピリチュアルな目線でいえば最初から知的障害として生まれてきたのはやはりスピリチュアルな理由があって何千回も何万回も輪廻転生を繰り返して人間としての魂の学びの最終段階に入っている状態なんです。言わばそのような知的障害を抱えて生まれてきた人達はもう何千回も何万回も輪廻転生を繰り返していて何度も生まれ変わっている人達とも言えます。

ここで少し疑問に思いませんか?

そんなに何千回も何万回も生まれ変わっているのにほとんどの人は前世での記憶がない状態で

生まれ変わっている事です。魂の学びのために前世での記憶は邪魔でしかない状態もありますが。

実は、それにもスピリチュアル的な理由があり詳しくは下記の書籍を読めば理解できると思い紹介させて頂きます。

そもそも輪廻転生と言う言葉は知ってはいても輪廻と転生は全くの別物であります。

輪廻と転生の違い

最初にこの書籍を書いた並木良和さんのプロフィールを紹介します。

氏名 並木良和 スピリチュアルカウンセラー。

彼は前世の記憶を1000回以上輪廻転生を繰り返しその記憶を保ったまま生きておられる方です。又、そのうちの30回は,はっきりと自分の前世で実際に生きた記憶もあり

又、自分が前世で死ぬ様子等もきちんと覚えているそうです。

まずは輪廻とは何か?

その、並木良和氏によると、

殆どの地球人は実は、この世とあの世をぐるぐると何度も死と生まれ変わりを何度も繰り返しを行って常に輪廻し続けているという状態なんです。なぜこんな事が起こるかと言うと上記の本の著者である並木良和さんの話によれば実は以前は、

死後の世界には霊界と言う世界がありますが、実は、霊界のほかに幽界と言う世界も存在していた様で死後、魂だけの存在になった人の魂はまずは霊界ではなく最初は、この幽界に行くのがほぼ100%決まっていました、その幽界では、生前の行い等を裁く様な存在が居て、生前の行いをこんな所が良くなかったとか,こう言う所がダメだったな!とかの生前の生き方を戒めたり罪悪感を人だった魂に責める様な死後の魂に罪悪感や罰の様な様な物を魂に傷を植え付け与えていた場所があったそうです。 

しかしその仕打ちを受けてしまうと魂は生前のその人生を振り返る事も出来ず生前の頭の整理する事も出来ず魂を傷つけられた傷も癒されないそうです。そして罪悪感や罰の様な物を植え付けられる様な物ばかり言われ、まるで映画のスクリーンの様に自分の生きてきた人生を見せつけられそれどころか自分のその時思っていた気持ちや感情だけではなく相手の思っている気持ちや感情迄経験してしまう為、魂に傷がついたまま、次の人生に向けての準備に満足に整う事もなく朦朧とした半ば記憶喪失の様な頭がぼやけた状態で強制的に魂が自分でも訳の分からぬままランダムに選ばれた母親のお腹の中の肉体に宿る事になり生まれ変わらせられるのだとの事です。この仕組と状態をこれを輪廻と言い、多くの殆どの地球人は何度も生まれ変わっていながらもこの何度も輪廻による生まれ変わりをして輪廻の輪から抜け出すことが出来ないと著者の並木良和さんはそのように述べております。

輪廻によって強制的に生まれ変わった人は今世の生まれた人生の意味を自分自身に問い自分の力で生きる意味や使命や為すべき事を自分の力で探す事になります。これが輪廻の仕組みです。よく「親ガチャ」と言う言葉をよく聞きますが、それも輪廻によって強制的に生まれ変わりをさせられているせいだと私は思います。だから「親ガチャ」なんてネットスラングが生まれて来るのでしょう、

転生するとはどう言う事か?

一方転生と言うのは死後幽界に行くのではなく生前の内から自分は霊界に行って転生するんだとそう強く思い決意する事が霊界に行く雄一の方法でありそして雄一霊界で転生出来る方法だそうです。

そもそも幽界の世界は既にほぼその役目を終えつつあり消滅する運命ににあると聞いております。

ならば生きている自分は霊界に行って転生するんだとそう強く願い決意し思う事が自分の死後霊界に行く為の雄一の方法でありそして雄一霊界で転生出来る方法だそうです。

霊界に行くと生前に生きていた頃よりもはるかに快適な状態で次に生まれ変わる為の周到な準備を入念に準備しながら霊界でしばらく生活することになります、

風の時代

しかし近年の生まれ変わりの事情はかなり短くなっていて

以前は次の人生に生まれ変わるのに200年も300年もかかった人もいるようです、中には生まれ変わるのに1000年もかかったと言う人もいたと言っております。転生する事がもし1000年かかったら、

万が一、転生に成功することが出来たとしても世の中が余りにも変わりすぎていて戸惑ってうまく生きられない可能性もあるのです。

しかし最近は地球の歴史自体が猛スピードで早くなってきている状況にあっていわゆる「風の時代」である為20年~30年位で生まれ変わっている人もいると言っております。早い人は10年で旨く転生し生まれ変わっている人もいます。

そしてどの国に生まれどんな両親の下に生まれ、今度の今世の人生で何をどんな事を学ぶのか?

自分で何を学ぶのか?も自分で決めてその為のカリキュラムも自分の意思で決めて自分の意思が尊重されます。

さらに自分の寿命まで自分で決めて死に方も自分で決めさらに寿命も複数用意してから完全に生まれなおす準備が万全に整った段階になったら又、新しい肉体をまとって新たな両親の下に赤ん坊として生まれて来る。これを転生と言うのだそうです

その為初めから知的障害者として生まれて来た人は例え赤ん坊の状態だろうと

何千回も何万回も生まれ変わっている為

魂の年齢の物凄く高い言わば、魂年齢の高い人達がとても多いと私は思います。

もちろん生まれ変わる時に前世の記憶を消されている状態で生まれて来ると思いますが自分の生きる目的や成し遂げたい事等は。

その子の潜在意識に深い所で覚えていてに何かのきっかけを機に自分の使命や成し遂げるべきことをを直観と言う形で思い出す事が出来るのです、

魂にとっては受け取るという事を知る事も学び

それは自分はこんな知的障害を抱えて生まれて来たけど、こんな自分でも可愛がってくれるだろうか?、自分を愛してくれるだろうか?、自分に優しくしてくれるだろうか?、と言う両親や兄妹姉妹の愛情を受け取るという事を学びとしてそれを使命として生まれてくる人が多い様です、

それに知的障害を抱えて生まれてくる両親のもとには、本当に心からあなたの事を誠の愛情を持って育ててくれる様な心優しい両親の下にきちんと生まれて来る事になっているんです。

又その様な知的障害を抱えている人は、両親に心配を掛けないよう他の病気や事故又、今回の事件等で両親よりも先に早世してしまう事もあります。しかし両親から愛情を受け取るという事をきちんと学んで亡くなった子は、短い人生ながらも両親の溢れんばかりの愛情に包まれて幸せな人生をを全うしたと私は思いますよ、

さらにその両親がいずれ寿命が来て亡くなったとしても先に生まれてきていた兄妹姉妹が知的障害の子の面倒をきちんと面倒を見ます。

むしろそういう使命を生まれながらに持っている人もいて「その子の兄か姉が又は弟か妹が知的障害として生まれたら「将来大きくなったら知的障害のあるお兄ちゃんやお姉ゃんの面倒見るんだ・知的障害のある弟や妹の面倒を見るんだ」と言っている事があります、そういう使命があるから先に生まれてきたり後から弟や妹が生まれてきたりして知的障害者の生きるサポートをするという使命を予め抱えて生まれて来る子たちもたくさんいてそのような子は例外なく心優しい子が殆どです

存在価値

植松死刑囚は逮捕直後から、「障害者は不幸しか作らない」とか「意思疎通のできない障害者は殺そうと思った」ほかにも「重度の障害者は安楽死させた方が良い」ともと言っておりますが果たして本当に障害者は生きる価値の無い人間なのでしょうか?

どうしても疑問を抱かずにはおれません

かってに障害者特に知的障害者を差別し人間の生きる人間の価値を値踏みし存在価値を踏みにじったた植松死刑囚はどう考えても彼の思想は歪んでいます。植松死刑囚に対する知的障害者の人間としての尊厳や自尊心を根底から否定しきっていたからこの様な馬鹿な行動を起こしたのかもしれません

知的障害者は、役所からも療育手帳( ※ 県や市や区によっては愛の手帳と呼ばれることもあります)

発行される等、国からのサポートも受けやすく自分も詳しくは知りませんが例えば税金などの免除を受けたり市内や区内の乗り物を無償で乗れるパスも交付も受けやすいと思います。そして何より生活保護が受理されやすいと聞いた事があります。

確かに身内や家族の中に障害特に知的障害者の場合はなにか一つ物を覚えさせようとしても酷く苦労していると思います、障害のある人間がいる人は経済的にも苦労してるのだと理解はできます、だけどそれで障害者を皆殺しにしても良いと言うのはどう考えてもどんな大義名分があっても赦される事では無いと私は、思います、人間には例え生まれながらにどんな障害があろうとも生まれてきただけで十分に価値のある存在です、これは「存在価値」言う物で「人は生きてるだけで価値のある存在なんだ」と自分の存在価値を認めてくれるやさしい両親や兄弟姉妹等に認められている存在なんです。

植松死刑囚はどうやらナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーを崇拝しているようです

アドルフ・ヒトラーは多くのユダヤ人を大量に毒ガスが充満する部屋に押し込めて大量虐殺した人としても悪名が世間に知れ渡っていますが、同時に障害者特に知的障害者も同時に大量虐殺してもいます。何故、障害者迄特に知的障害者迄殺さなければならないんだと不思議に思うかもしれませんが、それはヒトラーの思想には、優性思想と言う歪んだ思想が彼の頭の中にあった為ともいわれています。

知らない人の為に少し説明しますが、優性思想と言う思想は優れた人優秀な人間、優れた遺伝子だけを残したいと言う思想の事ですが正直この考えは最初から論理破綻している歪み切った思想であり非常に危険な考えでもあります、

優性思想は最初から考え方自体が破綻している歪んだ思想

それは80対20の法則・別名パレードの法則ともいわれる法則で明らかになるのですが、知らない人は下記の書籍を読んでみてください、一応活字が苦手な人は漫画版もありますので読んで頂けたらと思います。



もし仮に優秀な人ばかりが居たらどうなるのでしょうか?仮に日本の人口が1億人いたとして全員が頭がよくエリートで優秀だとしたら日本はどうなると思いますか?

残念ですが1億人の中からその20%の2000万人は必ず100%落ちこぼれていき脱落していきます、

それではその2割を排除して残った80%の人たちに仕事をさせるとどうなりますか?

非常に残念な結果ですが残った80%の中からさらに2割の脱落者が生まれて来る様に人生の法則でなり立ってしまうんですよ。そうやって常に2割の落ちこぼれや脱落した物を次々に排除していったどうなるか?

皆迄言わなくても感の良い人は、薄々気づいていると思います。

世の中は常に表裏一体の世界であり、

グラデーションに満ちた万華鏡の様な世界で出来ている。

世の中は常に表裏一体の世界で成り立っています。

例えば裏と表があり昼と夜があり光と闇があり白と黒があり弱者もいれば強者もいるし善と悪の概念もあります。男と女と言う存在もいて、陰陽道の世界でも陰・楊と言う概念があります。それはこの世tとあの世という事も変わりませんし、人間の目であの世の姿や死後の魂を人の目で見ることが出来ない様に

もし世の中のすべてが強者だけの世界で出来ていたら弱者と言う言葉も存在しておらず概念も無かったかもしれません、

このようにこの世界に必要だからこそ、その様な概念や存在があるわけですが電気をつけて明かりを灯すと、真っ暗闇が消えてしまうのと同じで理屈で必要ではあるが、相反する物は共存する事が出来ない様に世界は成り立っています。

もし植松死刑囚が言うようにすべての障害者が居なくなり知的障害者も全く生まれる事の無くなった世界はどうなるか考えたらどう思いますか?

世の中にはそのような知的障害者だけではなく自分の様な身体障碍者や心を病んでしまった精神障碍者の生活や楽に生きて生けるサポートをする会社やNPO団体等もあり、そのように障害者達の生きるサポートをして生計を立ててお金をもらって運営している会社やその会社から給料を貰っている人も数多くおります。

障害者はそのような価値を提供する事ででその人達の障害者や知的障害の面倒を見る事で働く場所を与える事でその人達に価値を与えているではありませんか?


歴史上の人物で最も有名な障害者で歴史にその名を遺した人物でヘレン・ケラーがあげられます。

下記の ヘレン・ケラー - Wikipedia参照してください。


彼女も幼い時に原因不明の重度の高熱を出しその時の後遺症で目が見えない・耳も聞こえない・そして耳が聞こえない為に口もきけないと言う三重苦を背負って生きてきましたがのちにサリバン先生に出会わなかったら彼女の人生は歴史に名を遺すどころか、常に不幸な人生を歩んでいた可能性があります。

しかしサリバン先生の導きによって愛と思いやりの心を知り、又。直接水に触れる事によってすべての者には名前がある事を知ったヘレンはその後点字をマスターし点字の本を読み何とか、たどたどしくも言葉を話せるようになりヘレンはサリバン先生の助力もあり猛勉強の末名門大学に入学その後首席で卒業しその後は多くの障害者の為に世界各国を講演を行い講演で稼いだお金の一部を慈善団体に寄付する等の活動をして多くの人達に勇気と希望と愛と思いやりの心をを与えました。

何も価値とは目に目る物だけでは無いのです

ヘレンのように多くの障害者達に愛と思いやりと勇気と希望と言う価値を与えつくして永眠しました。又サリバン先生をヘレンの人生に付き添うように自分の人生はヘレンに捧げるかのように生きまるで自分の役目は終わったとでも言わんばかりに安らかな永遠の眠りにつきました。

又最近では生まれながらに盲目のピアニストとれる辻井信行さんも素晴らしいピアノを盲目でありながら独学でピアノをマスターしあそこ迄うまく弾けるのは元から才能が有ったかもしれませんが努力もしたであろうし多分これは推測なのですが盲目の分耳が異常に研ぎ澄まされて絶対音感を身に着けたのだと思います。

ちなみに辻井信行氏の情報は下記にオフィシャルサイトがあるのでこちらをご覧ください。

又五体不満足を執筆した乙武 洋匡さんも最初から手足の無い状態で生まれて来たそうです

でもそんな境遇にもめげずに元気に明るく生きて教員をしながらいくつかの本も出版されておられます。

この様に様々な形で障害者だろうと目に見える価値だろうが目に見えない価値だろうが

どちらにしても価値を与えている事に変わりはないのでしょうか?

人々が欲している価値は人それぞれみんな違います。何もお金や物を作って売る事だけが価値ではないはずです。目では見えない価値と言うのも必ずあるからです。それが笑顔だったり楽しさだったり思いやりを与える事も出来た筈です。遊園地を思い出してください、遊園地の中には。ジェットコースターもあればお化け屋敷もありますがこれも怖い体験をしたい恐怖を体験したいスリルを体験したいと言う価値を求めているから需要があるから生まれたのであって何かを体験するという事に価値を見出す時代かもしれません。

少々話がそれましたが

もしこの世からすべての障害者がこの世からいなくなってしまえば障害者をサポートして生計を立てて暮らしている人達の仕事を奪ってしまう事に繋がると思います、植松死刑囚はこんな単純な理屈も理解できずに短絡的に犯行を越したわけですが

植松死刑囚はのちに「世界が平和になりますように」とのちに語っていますが本当にすべての障害者をこの世から消してしまえば本当に世界は平和になると本気で思い込んでいた様に思います。

これもまたアドルフ・ヒトラーの掲げた思想と同じ優性思想を植松死刑囚も強く信望していたのではないのだろうかとお思わずにおられません。

はっきり申し上げますが世の中から障害者を完全に排除するのは不可能です。

もし完全にすべての障害者の居ない世界を作ろうとしても不可能だと思います。

何故なら神の摂理とでも云えばいいのかどうかわかりませんんが一定の確率でどうしても何らかの障害を持って生まれてきてしまう事は一定の確率で起きてしまう物であって事実上、何らかの障害者を一定の割合で生まれて来る事は止められないと私は思います。

逆にその様な子供が生まれてきても安心して暮らせる社会システムを一刻も早く作り上げてしまった方が余程前向きで最も解決が早いのでは?と私はそう思わずにはいられません。

そして非常に残念ですが植松死刑囚の取った行動についてごく一部の人達から英雄扱いしたり植松死刑囚自身も自分は救世主だと暴言を吐いております。又、ツイッターやまとめ記事等にも植松死刑囚をヒーロー扱いし崇拝する書き込みも見た事も事実です

本来ならば弱者も強者も障害者も又はLGBT=トランスジェンダーの人達だってこの世に対していきやすい世の中になってくれるのを願っています。

それを徐々に作り上げていくのが日本の政治家の仕事だと私は思っております、だれもが等しく生きやすい世の中になります様に、その為には人々の意識の改革と歪んだ差別と言う思想は捨てる事だと思います、なぜなら差別は人の目を曇らせその人を色眼鏡で見るようになるからです

この事件ついて様々な書籍も出版しておりそれぞれに様々な著作さんは様々な意見を言っています紹介します。

   上記の本を執筆した雨宮処凛氏は植松のやった行為は国に対しての忖度殺人だと述べております。

如何言う事かと言うと国としても障害者の問題は経済的にも負担がかかる、だからと言って障害者を排除するわけにはいかない、憲法にもどんな人間にも健康で文化的な必要最小限の生活を送る権利があると明文化されているのである。それは障害者特に知的障害者でも等しく 同じ権利が憲法によって保障されております。だけどこの法律で雁字搦めで動けないと国が主張し思っているのなら国が動けないな自分がやるしかないと思い込んで本当に実行に移してしまったのだと思います。又妄想癖もかなり歪んだ妄想を持っていたようで自分は救世主だとのちに語っている通り障害者を抱えている家族や身内の人達を救ってやったのだと思っているかもしれません。それに見方を変えれば植松死刑囚も根はやさしすぎる人間だったからこそこのような事件を起こしてしまったのかもしれません。知的障害者を抱えている家族や身内は経済的にもひどく苦労している人達も多くいると聞いております、だから自分が代わりに手を汚してそうした知的障害者を抱えて居る家族や身内を実際に見ている現実から哀れに思いやさしさで知的障害者を次々に殺していったのかもしれません。



余談ですがユーチューブチャンネルであるごめとりい 言うユーチューブチャンネルがありますが

そこに今回の事件を詳細に説明している番組がありますので

宜しければご視聴頂きいいねの一つでもつけて頂けると制作側も喜んでくれると思います。

最後になりましたが植松死刑囚の手によって殺され犠牲になった、

亡くなられた方のお悔やみとご冥福をお祈りします。

そしてこれ読んでくれた読者の皆様方に感謝します。

本間義昌でした。



鬱の事に関して,もっと知ろう。今は心を病んでいる人達が沢山いる時代。

私は2017年から2019年に掛けて2度の脳梗塞を患い左足と左腕が思うように動かず両手とも握力が堕ちおまけに言葉も思うように喋れなくなりました、しかしだからこそこんな私でも発信できることがあるのではないかと思いこのブログを始めました、主に私の考えや最近のニュースや事件等を自分の意見言おうと思っております。今までに4000冊の読書を読み迄続くかわかりませんがどうか応援よろしくお願いします。

0コメント

  • 1000 / 1000