ブログ更新です。
最近は自分の近況報告ばかりやっている気もしますが、
もう少しだけお付き合い願いたいなと思っています。 今日は、
すでに亡くなってあの世にいる父に対して自分にも反省すべき所があったのかもと思い
懺悔するつもりで書こうと思います、
そのためにもまずは皆さんにもまずは 亡くなった父の事をまずある程度知ってもらいたいという思いで書きます、
生前の父
父は山形県の出身で最終学歴が中学卒です。
父の祖父は早くに亡くなっていて自分は写真でしか見たことがありません。
父は元々地声が酷く粗々しいがなり声で東北訛りが酷く乱暴な言葉使いしかできない人でした。
学歴コンプレックスもあったようです。
人によっては父の事を誤解している人も多くいると思います。
自分もそんな一人でした 父の声質はイメージすると心身統一法を世に広めた中村天風さんの声をかなり粗々しく乱暴にがなりたてる東北訛りの酷かった人でした、
ただ中村天風さんの音声は同じくがなり声ですがどこか品があり何処か力強い感じです、
おそらく前向きで明るい言葉を言っているからなのでしょうか?
実際の中村店風先生の肉声がこちらユーチューブに乗っております。
おまけに最終学歴が中学卒だったせいなのか、語彙力も乏しく本も一切読まない、
自分の見た事・聞いた事・経験してきた事・だけしか信じない人でした。
かといって他人の話は信じやすくよく怪しそうな話を鵜呑みにして信じ込んでしまって
何度も騙されかけた所を家族みんなで止めた事もあります。
詐欺師とかから見れば父は絶好のカモだったと思います。
義理人情に厚く、他人にはお人好しで面倒見も良かったところも見かけます。
時には父親らしいところもあったと思います、
よく車で港の船着き場に船をチャーターしての海釣りも趣味にしており、
よく釣った魚を母に捌かせて刺身にしてよく家族みんなに振舞っていたのを、おぼえております。
他に釣り番組も好きでよく見ていましたね、
あとは、時たまパチンコに行くぐらいでした。
子供の頃両親に一度だけ我儘を言ったことがあります。おそらく小学生ぐらい何年生の時だったか忘れましたがつくば万博に行きたい連れててってと駄々を捏ねたことが事があります、
そしたら父が車で家族全員でつくば万博に連れて行ってくれたこともあります、
あいにく会場は人でごった返していて正直見たかったバビリオンには入れず、
他のバビリオンに入ることにしましたがそれでも連れてってくれた事に対して素直に嬉しかったと思います、
それに正月は毎年、自分を含めた子供たち全員集めてお年玉をくれたのも父なりのやさしさだったのかもしれません。
ある意味では、今でいうテンプレ過ぎる程、昭和の厳格な父親を地でいく人だったと思います。
好みの番組も映画等も昔の白黒時代の古い任侠やくざ映画が好きでよくみてました、
ちなみに父の好きな俳優は、高倉健さんと菅原文太さん渡哲也の他には、歌手もしてた石原裕次郎も好きでしたし彼の歌もよく聞いていました。 車の中ではテレサテンの歌をよく聞いてました。その為雰囲気としては横暴なまるで昔のやくざの親分のような雰囲気を醸し出しているような 近寄りがたい雰囲気が漂っていたことも、事実です。内心では昔の古き良き,弱きを助け強さを挫く極道に憧れを抱いていたかも知れません、 結局やくざには」なりませんでしたが、
そして父は、相手に喋らせるのは嫌いな方で、この人は相手に喋る隙も与えず自分が言いたいことをだけをまくしたてるように喋る人だったので、
この人は自分も含めて相手とコミニュケーションを取る気はないと、うすうす感じていました。 亡くなる少し前の父は、自分に対しても話が終わったと思って喋ろうとすると「とにかく話を聞け最後まで聞け」と自分の口を手で押さえて一方的に言いたい事を言いたいだけ言って気が済むと自分に「お前は何か言いたい事がないのか言いたい事があるなら言ってみろ」威圧的な目線で睨まれて既に話す気力もなくなった自分は「別にない」とだけ言うのがやっとでとぼとぼ上に上がって部屋に籠るだけでした、それに、話をしようと生意気な口叩くなと子供のくせに一人前の口をほざくなと言われ何も言わないとどうした何か言ってみろ黙ってるなん卑怯だぞと、
ののしられた事も、何の反応も返ってこないのが面白く無さそうに追い何か言えよ黙ってないで何か言ったらどうだ。
正直喧嘩を売られているようで嫌な気持ちしかしませんでした。
本来コミニュケーションというのはお互いの会話と会話のやり取りであり言わば会話のキャッチボールのはずです。
つまりお互いの人間としての対話と対話(ダイアローグ)だとおもいます。 そんな調子ですから話が終わるころには、もうこっちが話す気力も失せてしまいました、
多分父は相手に喋らせたらなにか自分が負けたような気持になったのでは無いのでしょうか、
今となっては、何に負けて何に勝ちたかったのと問いただしたい所ですが今となってはそれを知る術はありません、
そして、今にして思えば父が怖かったのではなく、父の声が怖かったのかもしれません、
正直父そのものが怖かったのではなく父の声は怖いと言うより嫌いでした。
しかし当時はまだ自分は幼かったこともあり父の何に、 怖がっていたのか当時まだ子供だった自分はわからなかったのですが、 幼少の自分にとっては父の声は不快な気分にさせるだけで父の怒鳴り声や説教を浴びるたびに自分に対して攻撃されているようにも感じましたし、
夕食の時間は父が帰ってきたら今度は何をいわれるのだろうと、
どんな説教を浴びせるのか父が帰ってくるのをびくびくしながら待っていたこともこっちが何か言おうとしてもすぐに生意気なこと言うなと大声で怒鳴りつけさらにおびえさせました。
まるで自分の勝手な正義感や論理を振りかざす演説でも聞かされるようで食事も段々喉を通らなくなりってげんなりした気持ちになってきたのを覚えております、
そんな父でしたがある日無くなる一年か一年半ぐらい前の時 生前に父は自分に対してパソコンを覚えたいスマホを覚えたいと自分に言ってきたことがあります。
多分人から「パソコンなんて簡単簡単」(スマホなんて慣れちまえば簡単だよ」 なんて他人からきいてまたそれを鵜呑みにしてしまったのかもしれません。
よく簡単にできる、この「簡単」という単語が特に 父にとってのキラーワードで簡単という言葉にすぐに引っ掛かりかりやすい人でしたから、
でも熱意や情熱だけはものすごく伝わってきましたからそこまで本気だったら教えて挙げられる事は、 それじゃこっちも本気になって教えてあげようと思ったのです 。
でも父にとってはパソコン一つ覚えさせるのは、相当困難でした、自分の認識がが甘かった事を思い知らされました。
そもそも父は、ローマ字も一度も教わった事も習った事も無いと言うんです。
そこでまずはローマ字表を購入して、そこから始めなければなりませんでした、
本来ならローマ字は、(自分は小学校の時に倣った覚えがあります) 小学校の時に教わるべきの文字ですが当時の父の小学校時代は ローマ字という概念もなくまったく教わった事は無いそうです、
その為、ローマ字表を見ながら必死でノートに書き取りをしていた事もあるし、 ローマ字表をみながら懸命にキーを打っていたのも覚えがあります 例えばグーグルのアカウント登録をしても「よし覚えたから今度は俺のやっている所を見てくれ」とそしてつまづいたところは自分が入力を代わりにしてあげました、
それで又、登録作業を完了すると、またグーグルアカウント登録をして同じ作業をやろうとしてしまう始末です、
理由聞くとまず何度も同じことを繰り返さないとおぼえられないからだそうです。
又、ちょっとモニター画面が変わっただけですぐに動揺してパニックになるのも一度や二度ではありませんでした。
もともと父は相当の機械音痴で根っからのアナログ人間でしたから、
最初からパソコンに関してはかなり物覚えが悪いとは自分もかなり覚悟しておりましたがまさかここまでとは甘く見過ぎた自分が馬鹿でした。
ほかにも一度覚えたことをすぐに忘れてしまうところもあって何度も同じことを繰り返し同じ事を、 覚えさせなければならない事に次第に自分も嫌気がさしていき
心も疲弊して行ったのも事実です。
その他あらゆる方法でどうにかパソコンを覚えさせようと色々試したりもしましたが、
父は一日たつともう覚えたことが頭の中からキレイサッパリとぬけているのです。
これには本当に頭を抱えました、 そしてとうとう自分も我慢が出来なくなり、
父に対して匙を投げるように 父さんどうやらあなたにパソコンを覚えさせるのはもう無理だと悟ったんです、父さんどうやらあなたにパソコンを覚えさせるのはもう無理だと思うだから努力は認めるけど申し訳無いけど諦めて欲しい、 どうしてもパソコンでして欲しい事があるなら自分に言えばしてあげるからと言ってしまいました。
本当はもっと根気強く父に向き合う必要があったら多分パソコンも多少はマシに使えていたのかもしれません、 結局自分の心が折れてしまったのです。
正直もうあのがなり声はこれ以上聞きたくなかったのもありますし、
途中で何かにブチ切れるようにいきなり切れだしてがなり声を立てて自分に対して怒鳴ってきたりもしました。 教えているこっちが怒鳴られることも一度や二度ではありませんでした。
どっちにしろもうこれ以上自分にもパソコンを父に教える気は もうなくなっていた事に間違いはありませんでした。
父の意図にきづかなかった私は結局は心が折れてしまったのです。
父の死後 気づいた事、そして父への懺悔 しかしある日知ってしまいました、
父の本当の意図は、本当はパソコンやスマホに詳しいと思っている自分に対してパソコンやスマホを通して、 自分とコミニュケーションがしたかった。
自分と仲良くなりたかっただけなのが父の死後分かりました。
それならそれでなんでそれをもっとストレートにはっきりとお前とコミニュケーションがしたかった。お前と仲良くなりたかった、
そういう本当に伝えたい事はかえってはっきりとストレートに言うべきだったんじゃなといのかと
自分の母や妹たちに行ってしまいましたが、
直接言わなくたってそう言うサインはいっぱい出してたはず妹たちもその事は察していた、
お前が鈍感なのが悪いと言われ、察することが出来ないお兄ちゃんが悪いんでしょ、 自分が悪いと言われ察せられない自分が悪かったのか、と激しく自分責めました、
今となっては時すでに遅し この時自分のあまりの鈍感さに本気で自分で自分を刺し殺してしまいたい位に自分を責めてしまいました。
もしかしたら自分は父と良好な関係になれたかも知れない、
でも良好な関係になかったのかもしれない、 でも一つ言える事はすでに父が亡くなっている以上その可能性すらなくなってしまった事に気づいたのです。
自分が父の言ったパソコンを覚えたいスマホを覚えたいと言った事を真に受けて 本気でパソコンを覚えさせようとした自分の方が馬鹿だったのです。
父の思いを組んでやれず今では激しく後悔しております。
本当は父にとってパソコンとかスマホとかどうでもよかったのかもしれません。
それにお前とコミニュケーションを取りたいお前と仲良くなりたいというのもちょっと疑問に感じるところがあります。
なぜなら もはや推測でしか語れませんが おそらく父にとってのコミニュケーションというのは 「俺の話を黙って聞け」、「黙って俺の話を聞いていればそれで良いんだ」、と 自分に話を聞いてもらって話を肯定してもらいたかった、 話を認めてもらいたかったと言うのが父にとってのコミニュケーションだったように思います、 現に母は妹たちは父の話に黙って聞いて時々うなずいたり相槌をうったりしているのを見たことがあります。 「そうだね)とか「そう言う考え方もあるよね」とかよく父に返していたのも覚えはあります、 要は父は妹たちや自分や母に対して父のカウンセラー役に徹していればそれでよかったのかもしれません。 でも今となってはどちらにしても父と良好な関係を持てたかもしれない、けど良好な関係をもてなかったかもしれない その可能性まで無意識に自分で手放してしまった、そして父を知ろうとする機会まで逃してしまった、馬鹿な人間だった事に 気づいてしまった事に変わりはありません、
いまでは父の遺影に朝と夜の2回線香をあげひたすら無心に成仏できるように手を合わせております。 父よどうか鈍感過ぎた馬鹿な自分をお許しください、
父の思いを感じ取ることが出来ずにお許しください
そしてどうかあの世で安らかにお眠りください。
両親と確執あっても生きてる間は、僅かでも和解の可能性はある、でも死んだらその可能性も失います
そして、もしこれを読んでいる方で親子の仲が悪いと言う人はいませんか?
父と不仲、母とも不仲だと言う人もしまだ生きていたならば、
決して悪い事は言いません、
たとえあなたにとっては、毒親だろうとも、
生きている内に和解しておく事をお勧めします。
もし長年両親に対して連絡を絶っているなら最後通告という意味で最後に連絡だけでも してみたらどうでしょうか?
両親の住所が分かっているなら自分が住んでる住所を伏せて 直接訪ねるのも良いと思います、
両親にあったら少し冷静になって自分の親に対してどう言う気持ちでいたか冷静に気持ちを言ってください、しかし飽くまでも冷静に淡々と言ってください、 そこで少しでもある程度謝罪の気持ちがあったら和解すればいいし飽くまでも自分たちは悪くないと 否定や言い訳ばかりしているようなら和解の余地はなしと両親を見限ってその後一切の連絡手段をたって下さい。 もし両親と不仲だった場合も何年か後色々誤解が解けて和解できるかもしれませんし、どうしても親の事が許せなく和解で出来ないかもしれません!
でも両親が健在で生きているのならまだ僅かでも和解の望みや可能性は残って要るんですよ。
仮に和解する事が出来なかったとしてももうそれで良いと思います。
結局とうとう最後まで和解することが出来なかったな、 と自分の中で納得して諦める事ができるんです。 そして両親に対してけじめをつけ前を向いて自分の人生を歩く事が出来るんです、
でもお前と和解したいと言おうが、それともお前とは和解する気はないと言おうが、
どっちの答えを出そうが生きてる両親から父・母の口から直接聞く事は出来るんですよ。
でも、死んでしまったらその答えも両親の口から直接聞く事は永久に叶わなくなってしまうんですよ、 両親の口から答えを一生聞けなくなってしまうんですよ。 死人に口なしとは正にこの事です。
なぜなら父の死又は、母の死でも良いですが、(自分の場合は父の死ですが、ちなみに母はまだいきています。) 両親の死とは、どう言う事か、それは、両親とその家族を含め両親の周りにいた人達すべての 物事や出来事に対するありとあらゆる可能性を全て失う事を、 意味してるんです、
これも自分の父の死によって気づかされた事でした。
人の死は死んだらその人に関わる死んだ本人も含めありとあらゆる全ての可能性を永遠に失ってしまうという事を、 頭の隅に覚えておいてほしいと思います。
死んだらもう和解することも出来ないし言い争う事も出来ないし 罵倒する事も出来なくなるし当然腹が立って喧嘩する事も殴り合う事も出来なくなるんですよ!
死んでしまったらもう何もかもが時すでに遅しという事をどうか覚えて知っておいてください。
それは誰よりも自分自身が父の死によって、骨身に染みてわかっている事ですから!
我が家族は(ハイ)高EE 高EEの「EE」とは、「Expressed Emotion」の頭文字から来ています。
EEは日本語にすると「感情表出」ということになります。 「感情表出」とは、文字通り、感情の表し方(表情、口調、態度など)のことです。 精神疾患を抱える患者さんに対して、強い感情表出がなされることを「高EE」と言い、 これは再発率を高める1つの要因と見なされています。
要は患者の家族の精神障害にに悪影響のある関わり方をする事であって 私も今回初めて高EEと言う単語を初めて聞きました。
切っ掛けは、ある漫画で
私も現在はうつ病を患いメンタルクリニックに通院しております、
結局高EEの根本的な原因は家族の精神病や精神疾患に対する 無知や無理解が根底にあると思います。
この高EEは、以下の次の3タイプに分けられます。
批判的な感情表出 批判的な感情表出とは、
「何もしないで寝てばかりいて…」
「ゲームばかり遣ってないで働いたらどうなの」
「いつまでダラダラした生活しているの!」など、
批判的な発言や態度を示すことです。 それ以外にも
「頑張れば出来る頑張れないのを言い訳にするな!」逆に
「頑張りが足りないもっと頑張れ」とか
「お前はやればできる人間なんだ出来ないじゃなくやらない言い訳してるだけだよ」
「努力は自分を裏切らない」 ほかにも
「お前、うつになっている場合かもっとしっかりしてもらわないとこっちが困るんだよ!」
「うつはただの甘えだよ」
「働きたくないから詐病に逃げてるだけだよ!」 全て無知や無理解が根底にあります。
「何を言っているのか私は知らない・分からない、お前の事が私にはわからない」
これは、相手を否定しているのも同然の言葉です。
敵意のある感情表出 敵意のある感情表出とは、
「あなたなんていなければ良いのに」
「お前なんて産むんじゃ無かった」
「うつに罹るなんてお前は一家の恥だ」
「OO家・一族の面汚しよ」
「あなたの病気(うつ病)のせいで私の人生が台無しよ!」
「あなたの病気(うつ病)のせいで私の婚約(結婚)が解消されてしまったのよ、如何してくれるのよ!」
等と敵視して攻撃するような感情や態度を示すことです。
また、「無視する」ことも含まれます。
患者さんの言動に左右され(巻き込まれ)すぎ 患者さんの言動に左右されすぎることは「巻き込まれ」とも言いますが、
上記の2つとは全く逆の態度を示すことですが、
患者さんにマイナスの影響を与える感情の表し方とされています。
例えば、「私がいないと何も出来ないから、私が守ってあげないと…」 と、
過保護、過干渉な態度を示すことです。
そして自分の家族は死んだ父を含め精神病・特にうつ病等に、
一切関心がなく無知で理解のない家庭であることがわかりました。
なぜ理解が無いのか!
「自分は鬱とは一生無縁だ」
「鬱なんて心の弱いメンタルの貧弱な人が罹るものだ」
「私はうつになんかならないから、要は
気の持ちようだ!」
「私はうつにならない人生は気合いだ」
それに「何もしないで寝てばかりいて…」
「ゲームばかり遣ってないで働いたらどうなの」
と言うその根底には特に日本人には、一つの思想が根強く根底にあると思います。
それは、 働かざる者食うべからず
この思想が余計うつ病患者を苦しませる事になり うつ病患者を余計に自分自身が卑屈になって まるで自分は生きてる事自体に罪悪感を抱くようになり 自殺願望を抱くようにもなってくるのです、
追い詰められる気持ちに段々なっていきます 。
このような人たちにいくら辛いんだとか苦しいんだ、仮に死にたいと訴えようが うつ病に関して認識の誤りがあると いくら理解を得ようとして無駄だと思います。 だって分からないんだから!
そもそもうつ病と言う事自体が怪しく聞こえてしまう人もいれば、 う
つ病は病気じゃなく詐病と言う人も中にはいます。
はっきり言います、断言できます、
うつは明らかに脳の病気であり心の病気です、
じゃあなぜこんなに偏見や誤解がまかり通っているのか、
同じ脳の病気でも心の病気は目に見えないからなんです。
見えないという事は理解できないと言う事でもあります、
理解できないから分からない事は人によっては恐怖でしかありません。
さらに言えば知らないという事がかえって無知や無理解に拍車をかけ 余計うつ病に大して恐れを抱く原因にもなっているのではないかと私は思います。
分からない事知らない事は、人にとって最大の恐怖なんだと思います。
うつ病は、非常にわかりやすく簡単に言えば頑張りたくても頑張れない病なんです。
決して怠けたいのではないと言う事をしっかり認識しておいて欲しいと思います、
なぜならうつ病にまで発展してしまった人は本人なりに、 誰が何と言おうとも必死で自分の人生を頑張って生きて真面目に誠実に 生きてきた何よりの証拠なんですよ、
だからうつ病になるまで頑張って生きてきた人なんです、 と先ずは自分がどんな形であれ、なりふり 構わず必死に藻掻いて足掻いて生きてきた自分自身の事を 尊重してあげる事が今の自分にとって最も必要なことなのかもしれません、
だから理解できないのに家族に対してもう辛いとか苦しいとか死にたいと口ではもう言わないことにしました 多分理解できないと思いますので、
おそらく家族に訴えても 「特に妹たちは、うつ病何それ?意味不明?・わけわかんない?言われるのが堕ちだと思います。 元々、特に自分に対しては、死んだ父も母も、そして妹たちにしても どこか自分に対して少し手厳しいスパルタ気質のような気もするのは 単なる自分の思い過ごしでしょうか?
結局何らかの精神疾患に罹った人にこそ家族や兄妹身内からのサポートや温かい言葉や優しい言葉を欲して居るのに その家族や兄弟姉妹が皮肉にも無知や無理解の為に、 うつ病を患った人にとっては最大の敵になってしまう事があるんです。
だからもう自分は、うつ病に罹っている事を家族や兄妹に、 分かってくれと期待することは止めにして口にする事も止めにしました。
結局この問題はうつに罹った自分個人の問題だから 自分で解決しなければならないと思っております。
人はあらゆる出来事、物事に対して主観でしか見れない。そして幸せとは!
人は誰でも自分が正しい自分がこそが正しくて相手が間違っていると、どうしても思いたくなります、 たとえ同じ親の元に兄妹として同じように育ったとしても やがてそれぞれに自立してそれぞれの人生という旅をしているのです 人はみんなたとえ親兄弟といえども自分自身の人生を生きているのです。
その中から自分見た事聞いた事実際に経験した事が 積み重なってそれがそれがその人の価値観を形作っていきます。
そしてそれが自分自身の価値観=自分の正義になるからです。
なぜなら人生とはこの様な物だと、結論付けて現実をみて生きているからなのかもしれません。
だから一人一人生きた人生経験が違う以上相手には相手の 考え方があるし価値観も違うし思想だって違うしそもそも育ってきた環境もみんな違うんです、
だからそのような多様性を受け入れて認めあえば良いと自分は思っております、 ですが残念ですが人間はどんなに考え深い思慮深い人でも 物事の見方に自分の主観がどうしても入るし主観でしか物事を語れないようになっているんです。
なぜなら人は、どんなに足掻いてもどんなに想像力を働かせても 他人の人生を追体験する事も実体験する事が出来ないからです、
そもそも主観とは自分の目線であり幼少期からずっと成人になるまでに、
それまでに見た事・聞いた事・感じた事・体験した事から少しずつ 自分の価値観や考え方や、信念・物事のとらえ方や意味付けをしそれを積み上げて、
人生の主軸・自分が生きていく指針・軸となる物です。
長年の人生経験で人生とはこのような物だと言う、
いわば自分の人生については語れるかもしれませんが 自分の人生はこうだ、
だから自分は正しいといわゆる正義が行き過ぎて思い込みが激しく さらに頑固で頑迷になると自分の人生で見た事・聞いた事・感じた事・経験した事がすべてが 正しいと思い込んで相手には相手の正しさがあると言う事に思いやれない人もいます、
相手にも相手の正しさがあって それを認められずお前は間違っていると否定するよりも そうかそういう考え方やそのような見方もあるのかと 互いを認め合ったほうがお互い良好な関係になれる物です。
私の尊敬している銀座まるかんの創業者斎藤一人さんは音声や本等でででこのように語っていたことを思い出しました。
宜しければ斎藤一人さんの最高傑作地球が天国になる話聞いてみてください。
地球が天国になる話前半 地球が天国になる話後半 斎藤ひとりさんの話では。
この地球と言う星・惑星は、縦・横・高さからなる三次元の物質世界で出来ており、
あらゆる宇宙の星々の中でも非常に稀有な惑星であると
太陽があり水があり花があり植物もありその植物から空気を作って
人間を含めあらゆる生物や動物たちにとっても生きるために必要な環境が何もかも全部そろっている星なんです、
こんな素敵な星・こんなに素晴らしい星は後にも先にも宇宙を、組まなく探し回ろうともこの地球ただ一つだそうです。
そしてこの掛け替えの無いたった一つしか無い愛すべきすべての生命の源たる母なる地球には70億近い人たちが 考え方も捉え方も意味付けも価値観も思想も宗教も国も人種も超えて 等しくこの星で人類が仲良く楽しく幸せになる暮らせる 環境が完全に揃った素晴らしく美しい星なんだとも語っています。
よく斎藤一人さんは、幸せとは人は幸せになる権利があるんじゃない、義務がある言う事なんですよ。
人は生まれてくる前の世界で神と言う存在に対して幸せになると約束して生まれてくる。
(※ ここから先は一部自分の想像力で書いたある意味フィクションでありそれを念頭に読んで頂ければ幸いです、 しかし数あるスピリチャル・精神世界系の書籍でもほぼ 同じような事を書いていると思うので必ずしも嘘ではないのかもしれないという事を 念頭に入れて読んで頂ければと思います)
人は生まれてくる前の世界でいわゆるあの世と呼ばれる世界で 私は幸せに生きると神と呼ばれる存在にそう約束して生まれてくるそうです。
その為に今世に輪廻の際には、
どの時代にどの国に生まれるか、
どの環境で暮らすか
裕福か貧乏かそこそこ普通か、
性別も男性として生まれるか女性として生まれるか、
そしてどんな両親の元に生まれるかもあらかじめ人生の設計図を大まかにきめてから
その上で、「神様、私はこの時代にこの国に生まれこの環境でこの性別で この両親の元に生まれて私は幸せになって生きていきます!」と神と呼ばれる存在に約束します、 「あなたの今世の輪廻先はその設定じゃきつくはないかい」 と神と呼ばれる存在は生まれる前の魂に問いかけます。ですが、 「いいえ今回はどうしてもこの人生にチャレンジしたいんです、 確かに今の私の魂レベルではかなりハードできつい人生だと思いますが、 私の魂のレベルアップの為にどうしても必要な事なんです、だから遣ってみたいんです、もしかしたら人生に耐えられず自ら死を選んでしまうかもしれません。でもそのリスクと取ってでもこの人生を通して大きく魂の学びに繋がらる事はたくさんあると思うんです、ですから、どうか神様お願いします、どうか私に今世のこの人生を挑戦させてください、必ず幸せになると約束しますから!そしてたくさん学んでこっちに天寿を全うして帰って来る事を約束します!」「わかった、あなたがそこ迄望むのならば」 とある特定の両親の下母親の受精したお腹に魂が宿り今世この世に 赤ちゃんとしてこの世に初めて生を受ける事になります。 ですが、神と呼ばれる存在に対して 私は幸せに生きていきますと約束してきているにも関わらず、
神と呼ばれる存在は人間そのものを幸せにしてはくれないし、
したくても出来ないんです、
神と呼ばれる存在はただ黙って人間の営みを見守るだけの存在です。
なぜかわかりますか? 神自身は人間たちに自分たちの手で幸せになれる力があると人間の可能性を信じているからです、
ですがただ黙って見ているだけではありません。
その為に、その人の人生の助けや学びにつながる物を人生の至る所で 幸せに変えてくれそうな素材のような物を人生の至る所に ちりばめてくれているんですよ。
神と呼ばれる存在は、幸せそのものを与えてくれるわけではない。
幸せになりそうな素材を人生の至る所に与えて用意してくれてるんです。
それがたとえばたまたま偶然見つけた一冊の本だったり 幼い頃からの幼馴染でそれが、 一生付き合える友人だったり 結婚と言う形で生涯のパートナーなってくれたり
自分の天職が見つかったり夢中になれるスポーツや趣味に出会ったり時には、
思いがけない出来事やイベントが起こったりとさまざまな出来事がおこります。 その幸せになりそうな素材をどのよう使うか又は、どのように加工するか、
又はどのように組み合わせるか、 試行錯誤して試す事によってその方法で幸せになれるかどうか試してごらん と神と呼ばれる存在は問いかけているんです。
それが具体的な行動を起こすと言う事なんです。
幸せになる為には思いと具体的な行動がセットになって初めて幸せに生きられる道筋ができる
人が幸せになるには思った事を思うだけではなく
それに相応しい具体的な行動がどうしても必要になってくるんです。
なぜなら地球は縦・横・高さからなる三次元の物質世界だから、
その物質世界でもあるこの地球で幸せに生きる為には、
思いと行動それも具体的な行動がセットで合わさっていないと、
何一つとして幸せがかなわないし夢もかなわないし 願いや目標もかなう事の無い所なんですよ。
この地球はそう言う星なんです。斎藤一人さんは 下記の書籍そう語っています。
興味があったらyンで見てはどうでしょうか?
だから夢や目標やりたい事があるなら積極的に行動して 自分だけの納得出来る自分だけの幸せを掴むしかないと自分では思っています。
そしてこれからの時代はやりたい事が見つからないと、 少しづつ生きにくい時代がやってくるのかもしれません。
そうかといって、今すぐやりたい事を見つけろとはいませんから 自分にとっても人生やっと半分に差し掛かっている所です。
そして人間は幸せになるために 何かを作る物を作成する、何かを発明すると言う力を獲得しました、やがて火も獲得しそれを自在に扱うことで鉄を精製して作ったりをさらに文明レベルが上がりやがて様々な考えや思想や哲学や宗教等も生み出す想像力を獲得したのです。
イスラエルの歴史学者・哲学者でもあるサピエンス全史の著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏によると 人類の文明は嘘と虚構と妄想によってここまで文明を発展させてきたと言っておられます。 詳しくは下記のサビエンス全史という書籍をご覧ください。
全ての争いの根源は恐れ
もしこの世で自分が世界一不幸だ思い込んでいる自分がもし幸せになれたならば、
たった一人だけでも不幸な人間が消えたことになります。
それを、人間はただ幸せになりたいただそれだけなのに、
なぜ人と人が争わなければならないんですか、
なぜ戦争を起こすんですか。
なぜ虐めがおこるんですか?
相手の事を本当の意味で思いやれる事の無い人は、
自分こそが正しい自分が絶対に正しいと自分こそ正義だ思い込んでいるそれは、
想像力の欠如ともう一つは理解できない物知ろうとする事を恐れる心だと私は思うのです。
それを自分が正しいお前が間違っていると言っている人間はもうそういうのは止めにしませんか?
違ってて良いんですよ。それが当たり前でDefaultの状態なんですよ。
言い換えるならそれは個性という才能なんですよ、
もし自分が自分のほうが正しいと思い込んでいるのなら 相手に言い放つ前に一度で良いから一時立ち止まって心の中で 「本当にそうか?」と自分の心に疑問を投げかけてみてください。
そして相手の事も相手の人生はどのような人生を送ってきたのか?
一度目をつぶって相手の人生を想像しイメージしてあげてほしいのです。
完全にイメージすることは難しいでしょうがやってみてほしいのです。
そして多くの人たちが互いの違いを認め互いの個性を尊重できたなら
この地球と言う星は人間にとっての理想郷であり天国のような(ユートピア)になります。
なぜなら人は男性も女性もみんな等しく楽しく幸せになるために、 神と呼ばれる存在に認められて
今世この世 この地球と言う星にこの時代に地球人として生を受けたのだから。
人が幸せになる為に!
回はかなり長文になってしまった事に対して謝罪します、
しかし書かずにはいられませんでしたご理解ください
最後まで読んで頂きありがとうございました。
本間義昌でした。
0コメント