自分が本当に望んでいたものは?。

念皆さんどうもこんにちはブログの更新です。 

 前回は自分が2度にわたる脳梗塞患ってそのきっかけで 

 うつ病が再発し今現在もメンタルクリニックに通い心理士の先生から30分のカウンセリングを受けている現状です。

 いまだ喋りずらい症状も緩和されておりませんが、

それでもたどたどしくても寄り添って話を聞いてくれる先生には本当にありがとうと感謝の言葉を伝えたいです。

 そこで今回は先生が課題を出してくれました。

それもいきなり粗大な課題を投げかけられて少し戸惑いましたが そ

の心理士のカウンセラーさんが与えた課題はこういうものでした、 

 もし、自分がなんでもできるなんでもしていいよと言われたら

(時間やお金や能力の制約を一切考えずに) 何がしたいと何をやってみたい、

そして何をこの世界に実現したい、そのように問われた時、正直あまりにも壮大過ぎる質問ですが、一度自分が本当に成し遂げたかったものが何なのか

じっくり考えてみる事にしてみました。 

 正直どんなに時間をかけてもこれといった答えが浮かばなかった事は、事実です。

 ですがこの世の中を冷静に見つめて俯瞰した目線で見てみると

 弱者に対して厳しいというか生きづらい世の中なのかもしれないと、

漠然とした気持ちで考えたことはあります。 

 毎日の日常生活を日々生きていくだけでも3~5倍の体力と気力を使うようになってしまいそれもよりうつの症状を悪化させている原因になっているのも確かだと思います。

 抑々、昔の昭和の時代とか平成初期の時代はうつ病なんてものは,甘えだの怠け病だのと言われてきた時代でもあってこれがもし江戸時代等であればうつ病なんて病気は殆どその発症例はなかったとおもいます。

例え罹っていたとしても大抵は気の持ちようだとか自分を胡麻化してうつ病になっている事にも気がつかずに日々を過ごしていたのでは無いのでしょうか。 

 これは自分の推論にすぎませんが世の中の文明レベルが上がるにつれて人間自体が深く考えることやめてしまい逆に人間の脳が次第にその文明レベルに追いついて行けなくなってしまい脳が疲れて退化して来ているせいなのかもとというのが私の推論です、

 ( ※ 逆に考えれば人間の脳は疲れて怠けたいために、あえて何かを作る何かを想像する何かを発明する事を人間の脳は人間に与えたのではないのだろうか?)

 もともと人間の脳は今の文明レベルで合わせていけるレベルではなく人間が狩りや獲物を追い回ししていた遥か、原始時代から人間の脳は、それ程進化していないと言うこともなんとなくわかってきたのです。

本来ならばもっと緩やかペースで人は進歩しそれにつれて人の脳も緩やかに進歩すべきだったのでしょう! なぜなら今と違い、昭和の時代や江戸時代や明治・大正の時代は、

パソコンはおろかインターネットもメールもなければコンピュータさえもなかった時代です。

でも明治・大正・江戸時代の人たちは多少生活に不便はあったかもしれませんがそのころに暮らしていた明治・大正・江戸の民たちは、ストレスを抱えていましたか?

不平不満を言っていましたか?士農工商と言う身分制度と鎖国状態だったとは言えむしろ人々は平和に幸せに人生を謳歌していたようにも思えてならないのです。

 ( ※ 多少の悪人等がいていざこざがあったとしても) 

 そうでなければ300年近くもの間、これといった争いもなく平和で太平の世は築けなかったと思います。 

 そしてそのころの人たちは、意外にのんびりと幸せで牧歌的な生活スタイルを送っていたのでしょう。 

 そして昭和の時代に入り 1970年代や1980年代ころにかけてコンピュータ(電子計算機)が発明されそれにつれて マイクロコンピュータ(マイコン)が開発されました。

それが1970年代から1980年代の頃です。 

 当時は主にパソコン通信等で使われていたPC-98シリーズが一部のパソコンマニアの間で話題になり全盛期は1980年代後半から1990年代で、

のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。 商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、 パソコン通信は事実上廃止となりました。

 その後、MS-DOSの画面から起ち上げるWindows3.0~3.1は存在はしてましたが本当にごく一部のパソコンマニアだけの間で知られた存在でした。 

 それが平成初期の1995年あたりから急激にパソコンの基本ソフトであるOS Windows95~98等 爆発的なパソコンとインターネットの登場によってこの30年の間に特に通信や情報に大革命をもたらし一人一人が情報発信ができるようになり、これは個人が独自のメディアを持てるようになった為でもあります。 

 それによっていろんな情報が縦横無尽に飛び交うようになりなにが正しくて何がまちがっているのか、よくその情報のソースや(大本となる情報)エビデンス(きちんとした証拠)

もよく調べもせずに憶測やかってなイメージだけで好き勝手に言っている人もいれば、ただの決めつけや偏見でその人を判断するのもちょっどうかなと思うところもあります。 

 今の時代は、インターネットが普及した恩恵によって通信手段だけではなくコミニュケーションの在り方も依然とは、比べ物にならない程複雑になってきたのだと思います、

これが明治・大正・昭和の時代は、相手に対するコミニュケーションは直接会って直に話すか、手紙に認めるか。昭和の頃は相手先の電話番号に電話をするか、急ぎであれば電報を打ってもらうと割とシンプルなコミニュケーションだったのでしょう!

又、江戸時代は直接会って話すか、手紙を届けるしか無かったため割とストレートに自分の思いや考えている事を素直に表現しやすかったのかもしれません。それだけ当時の人々は物事を単純にシンプルに考えていたのかもしれません! 

 しかしインターネットが普及しコミニュケーションもSNS等ありとあらゆる手段で個人が緩るいつながりを持つようになってから少しずつに人間の心が疲弊し疲れ切っているのかもしれません。

 本来SNSと言うサービスが開発提供されなければ本来ならば一生涯出会う機会すらもなかった人同士が緩くつながってしまい決して出会ってはいけない人と例え緩いつながりであったとしても出会ってしまったが為に不幸になったり、ストーカー等の付きまとい行為がなされたり、場合によっては出会ってしまったり繋がった為に殺されて命まで失う人もいます。

それだけ現代の人々は、人間の脳が時代のスピードや変化にも付いて行けずそれだけ人が何を考えているのかわからなくなってしまって疑心暗鬼に陥っていると言う言わば人の心の在り方=思考停止してしまい脳がパソコンでいえばフリーズしてしまいあまりにも心が複雑化してきている時代に突入しているのではないか?と私はそう思えてならないのです 

 その為、人々の心の余裕がなくなり何も考えられなくなり人間の心の許容量が限界を迎えてしまった為でそれが外側に向かうなら弱そうな人などにイライラや怒りを発散させればいいのかもしれませんが、

これが内向きだと無気力になったりうつ病を患ったり酷い場合は自ら自死を選んでしまう人もいます。

それだけ人々の心は文明が発達していくとともに人間らしい心の温かさや人としてのぬくもりや思いやりのような人が本来持っていた人の優しさが失われているようにも思っています、

現代のテクノロジーは確かに人々に快適な暮らしを与えてくれたことは否定しませんし、

私自身もこうやってブログを打って自分の考えを発信することもできるようにもなりました。

だからと言って弱っている人に対して私は無関心で不寛容なそれも弱っている人間を平気でSNS等で自分の憂さ晴らしの為だけに叩くような自分にはなりたくありません そんなおり書店で久しぶりにある人の書籍が11年ぶりに発行されました。 

 その著作者の名前は石井裕之と言う半ば伝説と化しているセラピストであり自らをパーソナルモチベーターと自称して おり過去1回の講演会で5000人も集客した実績を持っています。 また潜在意識の事についての無意識のアクセスの仕方や潜在意識の世界の在り方どう言った仕組みで潜在意識は活動し動いているか?等次から次と思いもよらなかった話を聞くことができたのも今となっては良い思い出と成りつつあります。 


  私自身も何度か講演会に参加させて頂きました。

 Hiroyuki Ishii Unplugged ―The Last Words― 石井裕之 アンプラグド~遺書~ 

 じつは5000人も集客した講演会がこの講演会でした。

私もその5000人の内の一人です 忘れもしない2008年の10月14日雨が降り続く中での東京国際フォーラムAホールでの会場での石井さんの姿はよく覚えております。 教材も幾つかフォレスト出版のホームページから購入させて頂いたものです。



 石井さんの親書を読んでみるとやはり今でもかなり普通と違う目線で語っているところが非常に新鮮で 本当に今の自分の何が苦しいのか、それをはっきりとした言葉で言い切ってくれているのです。 そのなかには本文を一部分を抜粋すると 

 「今非常に生きずらさを感じているのは君はまともな感覚持っているんだよ、と私は、思う、

むしろこんなに生きずらい世の中を何の疑いもなく飄々と生きているほうが少しおかしいところがあるような気もする もしきみがそれだけ苦しんできたのはそれだけ嫌なことから逃げずに自分の人生に誠実に向き合っているからなんだよ 

 それは君自身がもっと成長できると君自身が信じているからなんだよ」 

 正直この一文を見たとき思わず涙が出てきました。

 この一文によってまさに声を大にして言いたかった事を石井さんは見事にはっきりと言い切ってくれたのです 

 この石井さんのこのメッセージによって自分は少し救われたような気がします。 この本は一生大切にします 

 今はすべてにおいて物事を合理的かつ論理的な考えになり何事もスピーディに仕事をこなし結果をだす世の中になってきていると思います、

なぜなら人々の心がもっと言うと人間の脳がバグを起こし誤作動を起こしているからこそ切れやすくなったりやたらとクレームが多かったりちょっとした事ですぐにぶち切れする人も多くなっているような気もするのです。

それは世の中のスピードについていけなくなった、

そんな心に余裕がなくなった不寛容で冷酷な世の中でもせめて自分と自分のまわりの人たちには寛容的でありたいと私は思います 

 それからついでに言わせてもらうと人々がなぜこんなに他人に対して冷たく無関心で不寛容になってしまった最大の原因はみんな心の奥底で他人に対して完璧さを求めているせいではないかと思います。 初めに断っておきますが人間はどんなに完璧さを追い求めても完璧にはなれない存在です。

もし、自分は完璧に物事を遣っている言い切っている人が居たならばその人は完璧にできていると思い込みたいだけの人です。 

 それともう一つ言いたい事が そして文明が発達しこれからはAIやロボットが人間のお仕事を代行してくれる日もそう遠くないかもしれません。

 そうなれば人間の仕事労働ということ自体に段々と価値がなくなってくる世の中になってしまうのかもしれません。 

 やがてAIやロボット・コンピュータが人間の仕事を肩代わりするようになるでしょう。 

 そのかわりその代償として人々の考える力や思考能力はどんどん落ちていき人々は、

いずれほんの一部の頭の良い天才を除けば、なにも考える事が出来ない非常にお手軽な答えを楽して追い求めるような短気で殺伐とした世の中になってくるかもしれません。

 最初の課題に戻ってしまいますが すでにある答えを見つけ出すのでは無く、

例えば1+1=2のようなすでにある答えを探し出するよりも 例え答えが出ずとも常にひたすら考え続けていく事、その事自体に価値を見出せる世の中が来ているかもしれません。 

 そして考え続けて悩みぬいた上で自分が本当に納得の出来る自分だけの納得出来る答えや生き方をを自分で作り出す事がこれから生きていくうえでも必要な思考力でありいま最も問われている事なのではないでしょうか?と私は思います。 

 今は深く思考し思遠する人が極端に減ったような気がします。

 昔の中国等の歴史上の人物でも老子や孔子等の思想家はたくさん居りましたし西洋の欧米各国でも「幸福論」を書いたことで有名なアランや「幸福について」「自殺について」を書いたショーペン・ハウアー等の哲学者も昔の時代には、多くいたのです。 

 私も人としての在り方・やさしさや思いやりを忘れないようにしていきたいと思います、 

 最後にこれを見てくれている皆様方に感謝します、 

 ありがとうございました。

 パーソナル(個人)コーチ 本間義昌でした

鬱の事に関して,もっと知ろう。今は心を病んでいる人達が沢山いる時代。

私は2017年から2019年に掛けて2度の脳梗塞を患い左足と左腕が思うように動かず両手とも握力が堕ちおまけに言葉も思うように喋れなくなりました、しかしだからこそこんな私でも発信できることがあるのではないかと思いこのブログを始めました、主に私の考えや最近のニュースや事件等を自分の意見言おうと思っております。今までに4000冊の読書を読み迄続くかわかりませんがどうか応援よろしくお願いします。

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