「歎異抄を開く」「歎異抄って何だろう」読んで見て分かった事。それは、人間は生まれてから死ぬまで煩悩の塊だと言う真実

無数の本の中からたった一冊を選ぶとしたら歎異抄を取る。

皆さんどうもこんにちはブログの更新をします。

今回は、高森県鉄先生の大ベストセラー「歎異抄を開く」・「歎異抄って何だろう」

の2冊をダブルで要約し解説して行きたいと思います。

ちなみにこの歎異抄はコミックスにもなっておりますので活字の苦手の方はまず漫画コミックスから読んで見る事をお勧めします。


又、歎異抄はアニメ映画化もされていてアマゾンプライムに加入すればレンタルで300円で見る事は、可能なので一度見てもらうと歎異抄の世界がより深く分かると思います。

しかしアニメ映画になって要る歎異抄をみるより「なぜ生きる」のアニメ映画を先に見る事をお勧めします。




本日ご紹介する「歎異抄を開く」「歎異抄って何だろう」はこの文章を書いている令和4年11月時点で2冊合わせて約70万部出ているそうですがこう行ったジャンルの本としてはちょっと驚きです。

さて日本人の皆さんならば歎異抄(たんにしょうと読む)という古典の名を一度は聞いたことがあるでしょう。

「善人なを持って往生を遂ぐ言わんや悪人おや」

とい言う一文は歎異抄を知っている人ならば余りにも有名だと思います。

しかし世界的名著とも言われる歎異抄ですが中学や高校の歴史で習った事はあっても実際に読んだ事があると言う人は小数ではないでしょうか?

恥ずがしながら、この私自身も今回ご紹介する2冊と出会うまでは正直全文を読んだ事がありませんでした。

私を含めた多くの人が歎異抄を読みたくても読めずにいる理由はやはりなんといっても言葉の難解さにあるでしょう。

そもそも700年も昔の古文で書かれている上に内容も専門用語が多く難解と言う事もありなかなか原文で読むのは大変なんです。

本日ご紹介する「歎異抄を開く」と「歎異抄って何だろう」の2冊は古文で書かれた難解な歎異抄を現代の言葉で非常にわかりやすく翻訳解説してくれている本になりますのでぜひ楽しみながら読んでいっていただきたいと思います。

ただ私自身も全てを読んだ訳では無いので現時点で理解してる所を要約して行きたいと思っております。

それでは現時点で分かって要る事を早速要約して行きしょう。本日のポイントは次の通りです

1、日本人なら一度は読みたい最近話題の超ロングセラー歎異抄について

2、分かっていても止められ無い実はあなたも患っている治らない難病について

3、人生を180度変える為に向き合うべきたった一つの問題について

解説していきたいと思います。

今から700年も昔に書かれた歎異抄ですがそこには私達現代人が誰しも直面する人生の諸問題に付いてのヒントが散りばめられております。

その様な普遍性こそが歎異抄が日本のみならず海外でも名著として知られ、

今もなお多くのファンを引き付けている所以だと言えるでしょう。

この文章を見る事で歎異抄の概要を理解して古典の

教養を身につけられる上に私達が生きる上での大切な思想にも触れる事が出来るでしょう。

ぜひ最後まで読んで見て行って下さい。

それでは順番に要約し解説して行きます。まずは

1、日本人なら一度は読みたい最近話題の超ロングセラー歎異抄について

から解説をスタートしていきます。

「善人なを持って往生を遂ぐいわんや悪人おや」

の一文でも知られる古典的名著歎異抄'(たんにしょうと読む)は今から約700年前の鎌倉時代に実在した人物親鸞聖人(しんらんしょうにん)と読む)の直弟子である唯円(ゆいねんと読む)によって書かれたとされています。当時は、本と言う概念が無く巻物に記された様ですが、そこには親鸞聖人様のお言葉の数々を頭に覚えている限りの親鸞聖人のお言葉を記したのが歎異抄(たんにしょうと読む)と題し、

後に書籍となったのです。

そもそも、歎異抄(たんにしょうと読む)は、その名の如く「異なるを歎く」(ことなるをなげく」と言う意味で異説ばかりをそして誤った教えを唱える者達を歎き親鸞聖人の教えが正しく後の世に伝わる様にと唯円の思いと願いが込められている書物です。

執筆から数世紀を経た今でも歎異抄は世界中の哲学者や思想家に読まれ続ける世界有数のロングセラーとなっております。

「龍馬が行く」で有名な作家の司馬遼太郎は無人島に一冊の本を持って行くとしたら歎異抄だと述べています。

また「龍馬が行く」はコミックスにもなっておりますのでこちらもどうぞ。


また劇作家として有名な倉田百三は歎異抄よりも求心的な書物はおそらく世界にあるまいとした上で歎異抄を国宝と言って良いと言っています。

さらに日本を代表する哲学者の一人、西田幾多郎は戦中に東京・横浜が空襲にあった際

一切が焼け失せても歎異抄さえ残れば良いとまで言ったと伝えられております。

この様に親鸞思想の格好の入門書として有名な歎異抄ですが実は親鸞自身が執筆した書籍ではありません親鸞思想の全てが記されているのは親鸞聖人自身が書き残した教行信証と書物があります。


しかしこちらは歎異抄よりもさらに読んだ事がある人は少ないでしょう。

なぜなら漢字ばかりで書かれ難しい用語が類出がする事である事等からそもそも挑戦する事さえ難しい書物だからであります。

一方、直弟子の唯円の記した歎異抄については圧倒的に短く仮名まじりで平易な文体である事が特徴なんです。

さらに徒然草・方丈記に並んで3大古文と言われ美しい文体も相まって親鸞思想の格好の入門書として 多くの一般人に知られて行きました。

特に明治から昭和にかけては大ブームになった程で今もなおファンの多い古典なんです。

また数ある古典の中でも特に哲学者や思想家・文学者が歎異抄をこぞって取り上げた理由として流れるような美しい文章に散らばる一見謎めいた言葉の数々が挙げられます。

例えば、歎異抄の思想を代表する1節でもある

「善人なを持って往生を遂ぐ言わんや悪人おや」

の他にも有名な言葉として

「親鸞は弟子一人も持たず」

という一節があります。

現に歎異抄を書き残した唯円が親鸞聖人の弟子であるにも関わらず弟子が一人も居ない何てちょっとど言う事?

と不思議に思いますよね!

仮名まじりで平易に書かれているとはいえ、やはり700年前に書かれた古文かつ専門的な用語が多く使われている上にこの様な謎めいた表現が多いと言う事からも歎異抄はそこらのビジネス書の様に簡単に立ち読み出来る様な代物では無いと言う事がわかります。


そこで、「歎異抄って何だろう」ではまず歎異抄を理解するために必要な背景知識をある例え話に従って誰にでもわかりやすく解説されてのが「歎異抄って何だろう」と言う書籍です。

本書「歎異抄って何だろう」はいわば歎異抄を読む為、そして理解を深める為のガイドブックと言っても過言ではありません。


この例え話を知ってから歎異抄の中身に触れる事でグッと理解が深まる事は間違い無いでしょう。

それでは早速どんな例え話なのか紹介いたします。

1、すべての医師から見放された難病人がいました。

2、世界唯一の名医の存在を教える案内者が現れました。

3、名医は難病人の苦悩の根源を突き止め直せなければ命を捨てると誓っていました。

4、名医は長い間苦労を重ねてついに特効薬を完成させました。

5、特効薬を飲んで難病が全壊した患者は大変に喜びました。

6、難病が完治した患者は名医と案内者に深く感謝しお礼を言わずに折れなくなりました。

どうでしょうか?

例え話としては非常にシンプルです!「歎異抄って何だろう」では

この例え話が何を表しているのか?

一つ一つ解き明かして行く事で難解なイメージのある

歎異抄の全体像がスッキリわかる構造になっているんです。

それでは、今からそれぞれ何を表しているのかを解説して行きたいと言う処何ですが、

全ての項目に付いて詳しく紹介するには残念ながら非常に文章が長く読み難くなってしまうので、 そこで今回は例え話の最初の部分だけを詳しくご紹介したいと思います。

それではこのあたりで

1、日本人なら一度は読みたい最近話題の超ロングセラー歎異抄についてをまとめておきましょう。

1、歎異抄は鎌倉時代に生きた実在した親鸞聖人の直弟子の唯円によって書かれた古典であり多くのファンに愛されてきた。

2、親鸞の思想が短くかつ平易な仮名混じりの部分で書かれさらに謎めいた表現も散りばめられている事が歎異抄が注目を集めた理由である。

3、歎異抄の全体像は一つの例え話で理解する事が出来る。


2、分かっていても止められ無い実はあなたも患っている治らない難病について

解説して行きたいと思います。

では歎異抄とはどんな本なのか700年前に書かれた古典にも関わらず今なお多くのファンが魅了されている理由を解説してきました。

 では「歎異抄って何だろう」で歎異抄の全体像を理解する為の例え話に付いてより詳しく解説して行きたいと思います。

この例え話に最初に出てくる難病人とは、

驚くべき事に私達全人類全ての人間の事を指しております。 

私もあなたも既に難病に罹っている病人とはちょっと驚きですよね!

歎異抄には全ての人は2つの難病に侵されていると言われています。

その難病とは一つは治らない難病、もう一つは治る難病です。

この治る難病と治らない難病の違いを理解する事が

歎異抄を読み解く上で最も重要なポイントになっております。

それではまずは治らない難病から見て行きたいと思います。

歎異抄では我々全人類全ての人間は生まれた時から寿命で死ぬまで煩悩と言う治らない難病に侵されていると言われております。

煩悩とは読んで字のごとく私達を煩わせ悩ませる物の事です。

煩悩はどんな人にも108つの煩悩があるとされていて余談になりますが、

大晦日に除夜の鐘を108回鳴らすのも此処に由来すると言われています。

そして中でも最も強烈な三毒の煩悩と呼ばれる物が欲・怒り・愚痴の3つです。

一つずつ解説していきましょう。

1、まずは、三毒の煩悩のうちの欲から見てまいりましょう。

欲とは文字通り私達人間の欲望の事です、

しかし中でも特に深くて強い強烈かつ強力な欲は五欲と呼ばれます、

主に

食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲がそれにあたります。

言い方を変えれば人間を含めた生物としての生存本能と呼ばれる物です。そのうち人間だけが持っている欲は財欲・名誉欲は人間だけが持つ欲であります。

・食欲とは、好きな物を食べたい飲みたいと言う煩悩です。

生き物である限り私達人間もまた食欲からは決して逃れる事が出来ません。

生きる為の栄養摂取と言う点で食欲は確かに生存の為に欠かせ無い原動力の一つです。

しかしそんな食欲によって私達人間は時にとんでも無い行動を起こす事があります。

例えば、太平洋戦争中南方の戦線に置いて飢餓に迫られた

兵士達は戦友を殺して人肉を食らったと言う話があります。

この様に食欲は私達人間を鬼や餓鬼にする恐ろしい欲でもあるんです。

世界的に有名な事件として人肉を食らった事件としてアンデスの聖餐は余りにも有名な事件です。

事件の概要をアマゾンのレビューの一記事を引用します。

ウルグアイのラグビー・チームを突然襲った飛行機事故による冬のアンデス山中での遭難からの奇跡の生還を描いた実録書。「生きてこそ」という題で2度映画化もされている。事件後、関係者は口を噤んでいたが、著者が数年の時を経て実情を語ったもの。 機上から突然アンデスの冬山に降り立ったので、当然防寒用具、登山用具等の装備は無い。食べ物も僅か。如何に屈強なラグビー選手と言えども、生還は困難な状況である。しかし、キャプテンを中心に不屈の闘志で頑張り、救援を待つ。「All for one、One for all」の精神である。チームメイトが一人また一人と倒れる中、精神的支柱となっていたキャプテンが、ラジオからの救援打ち切りの報を聞いて、精神的緊張が切れ、やはり倒れる。事ここに到っては、冬のアンデスを乗り越えるしかない。全員は無理なので、著者を含めた数名が踏破を目指す。装備のない状態での走破は困難を極め、まさに死線を歩くと言っても過言ではなく、足を踏み外せば死の淵である。実際、崖から数10m滑り落ちた事もあったようだ。しかし、絶対生き抜くと言う強い精神力で目的地に辿り付き、結局その時点で生きていたメンバは全員生還する。作り物では味わえない感動である。 問題は事件当時から話題になっていた「食料はどうしたのか ?」という点である。当時から死んだメンバーの肉を食べたのではと言う声が挙がっていた。それで、事件関係者は口を噤んでいたのだが、著者の告白で明らかになった。チーム全員が敬虔なクリスチャンで、牧師への告解を通じて、赦しを得ていた様だ。これで著者の気もだいぶ楽になったらしい。武田泰淳氏「ひかりごけ」と比べると、宗教への依存性、国民性の違いが浮き彫りになると思う。 実際に起こった事件を通じて、生きる事の意味を問いかける問題作。

生きる為に止むを得なかった事とは言え人肉を食らうと言う行為は当事者も相当の葛藤と迷いがあったと思う、それでも余りの飢餓と寒さと飢えに苦しみ抜いた末のこの様な究極の手段を取らざるを得なかった当事者本人にしか分からない苦悩があったのだろうと私は思います。

後に「生きてこそ」と言うタイトルでこの事件を映画化もしております。

これもアマゾンプライムでレンタルで299円で視聴する事が出来ます。


そして

・第2の欲、それは、財欲であります。

財欲とはお金や物を求める心です。

皆さんはお金好きですよね、私も大好きです。

人間は皆どうやったらお金を増やせるのか?

どうすれば損をしないか?

高く売って安く買うにはどうすれば良いのか?

その様な計算に常に必死です。

お金は青天井で欲しても欲してもキリがありません。

むしろ得れば得る程もっと欲しくなってしまうのがお金の怖い処何です。

なければ無いで不安になり、有れば有るでもっともっと欲しくなる、

この様に限りなく拡散していく財力はまさに

煩悩の象徴と言っても過言では無いでしょう。

そして

・第3の色欲は恋愛に纏わる欲や性欲の事を意味します。

人間の社会に色恋沙汰は絶えません。

テレビやネットのニュースを見ればやれ不倫や浮気だのやれ角関係だのと大騒ぎし私達人間が色恋沙汰に如何に興味関心があるかを如実に表していると言えましょう、

・第4の名誉欲は人に褒められたい

人に評価されたいと言った心の渇望を意味します 。

最近はSNSに起きる承認欲求等とも相まって私達の名誉欲の拡張は留まる処を知りません。

SNSでいいねを一つもらえれば、次は10個のいいねが欲しくなり、10個のいいねをもらえれば次は100個と名誉欲は際限なく膨らんで行くんです。

・そして最後の5つ目が睡眠欲です。

睡眠欲は眠りたいと言う欲求だけに留まらず休みたい楽がしたいと言った私達の心に救うサボりたいと言う気持ちも含みます。

この様に見て行くと確かに私達が生きて行く為に五欲は必要な物ではあります。

食欲や睡眠欲が無ければ私達人間を含む生物は死んでしまいます。

財力が無ければ路頭に迷ってしまいます。

名誉欲が無ければ社会活動を営む事は出来ず

色欲が無ければ子孫を残す事は出来ません。

しかし再現の無い欲によって振り回され苦しんでいるのもまた事実では無いでしょうか?

この欲の実装を今から約2600年前インドで活躍して仏教を解いた釈迦は有無同然と言っています。

あってもなくても同じであると言う事です。

しかしお金や物を持っている人と持っていない人では、

生活も価値観も全く違いますよね?

一体何処が同じと言えるのでしょうか?

それはお金や財産・地位や名誉・才能・家族・友人等無ければ無いで、苦しみがあれば、

あったらあったで苦しんでいる人も心が満たされず不安や苦しみが絶え無いと言う点では、

同じだと言われているんです。

多くの人は、金や財産・地位や名誉が無いから、

自分は苦しんで要るんだと思って要るのでは無いでしょうか?

しかし才能に恵まれ金や財産を手に入れて誰もが羨む様な。

人気者になったとしても心の中には誰にも言え無い深い悩みがある人もいます。

これを裏付ける様になぜあの人がと思う様な成功者や芸能人が自ら命を絶ってしまったというニュースはあとを絶ちません。

釈迦はある人は金の鎖に繋がれ又ある人は鉄の鎖に繋がれて要るとも言っています。

材質に違いはあれど苦しみから抜け出せない事には変わりが無いと言う事です。

とはいえ、無い苦しみはよくわかるが有る苦しみと言われてもと思われる方も多いでしょう。

しかし私達も比べる相手を変えれば、よほど有る側の人と言えるのでは無いでしょうか?

例えば、江戸時代までは殿様が移動する最高の乗り物はカゴでした。

車も新幹線も飛行機もある今日と比べるとカゴは夏は暑いし冬は寒いノロノロと一日中揺られて移動距離も限られます。

馬を使えば、早く行けたでしょうがカゴと同じで暑さや寒さも防げないし風雨や雪にも晒されます。

それと比べたら自分の車が高級車では無く軽自動車だったとしても移動が新幹線のグリーン車ではなく普通電車だったとしてもカゴや馬よりは、よほど快適ですよ!

こう考えると私達は昔の人と比べればどんなお金持ちよりもよっぽど便利で豊かな生活をして要る有る側であるとも言えますが、それほどの喜びを感じてい無い事もあるでしょう。

いくらお金や物に恵まれてもいくら便利な世の中になっても私達はもっともっとと無限に広がる欲に振り回されて苦しんだり悩んだりしているのでは無いでしょうか?

それでは次の三毒の煩悩のうちの二つ目、怒りに付いて解説して行きたいと思います。

さて、三毒の煩悩の2つ目である怒りの心は、先ほど説明した欲が邪魔される事で起こります。自分の欲望が満たされないと私達はあいつのせいで儲けそこなった、こいつのせいで恥をかかされたと腹を立て言っては行け無い事を言い、やっては行け無い事をやってしまいます。つい、かっとなって言った一言でそれまで気づいてきた人間関係にひびが入ってしまったり八つ当たりで周りの物を壊したりして後悔する事もありますよね!先程の五欲の内の一つ色欲でも中には浮気相手に対して怒りと嫉妬で完全に我を忘れて気が付いたら浮気相手の男性を刺し殺してしまった挙句愛していた女性迄殺して仕舞っていたと言う事も珍しい事ではありません。

それ位、色欲・色恋沙汰が怒りや嫉妬に変貌するとに怒りに我を失い何を遣らかすか分からない恐ろしさがあります、

そして

その、怒りの矛先になった相手を傷つけるだけで無く自分の大切な物や人まで壊してしまう恐ろしい心を怒りと言っておられるのです。

それでは次の三毒の三つ目の煩悩の、愚痴について解説していきます 。

欲と怒りはわかりやすいですが、愚痴が煩悩の一つである、と言うのはすぐには、

飲み込みづらいですよね!ここで言う愚痴とは居酒屋等で同僚等にグチグチと上司に付いて不満を言うと言う現代語の意味では無くて 此処で言う愚痴とは妬み・恨み・嫉み・の心を指しています 。

勝るを妬むという言葉がある様に才能や容姿・運動能力SNSのフォロワー数等、自分よりも優れた人 成功している人を見て苦々しく思う心の事です。

例えば自分よりも後に入社した後輩が自分より先に出世すると、面白く無い心が出てきます。

同窓会で昔の同級生と会った時相手が自分よりも若々しくビジネスにも成功し家族にも恵まれていたら口では褒めながら何とも言え無い複雑な気持ちになるのでは無いでしょうか?

反対に他人の失敗や不幸を喜ぶと言うのもこの愚痴の心です。

芸能人のスキャンダル等をネタに盛り上がったりしますよね!

他人が失敗したり不幸な目にあったりした時、「残念でしたね」と口では言いながらも心の中では、ニヤリとほくそ笑んでいるそんな密かに他人の不幸を喜ぶ悪魔の様なゾッとする様な心を誰もが持っているんです。

ただこれらの欲・怒り・愚痴の心 ・確かに思い当たる部分も多いけれど口や体や態度に出さなければ良いんじゃないか?

と思われるのでは無いでしょうか?

しかし

歎異抄で最も重視されているのは、口や体や態度の行いよりも、

心で何を思っているのかと言う心の行い何です。

一体なぜ外に現れる言動よりも目に見え無い心を重視されているのでしょうか?

それは、口や体は心の指示によって動いているからです。

これは現代の脳科学でも明らかにされており(脳)心と体は連動している事からも脳科学の分野で明らかにされております。

犯罪でも実際の実行犯と犯行の指示を出した黒幕は別人である事がありますよね!

この場合実行犯よりもむしろ犯行を支持して恐ろしい事をやらせた黒幕の方が、重い罪を問われるのは当然です。

同じ様に歎異抄では、実行犯に当たる口や体よりも口や体に指示を出す黒幕である心が最も重要視されているんです。

そして

歎異抄には心の姿、何を思うのかに注目し全ての人は、

欲・怒り・妬み・嫉み・と言った煩悩に侵されて

苦しんでいる心の悪人(偽善者)であると説かれているのです。

犯罪を犯した人や倫理道徳に反する人等の私達が想像する悪人とは、全く意味が異なります。

私自身も悪人にこんなに深い意味があるとは知らずに私自身も正直驚きました。

歎異抄には人間とは死ぬまで煩悩の塊であると言われ

全ての人は生涯治らない病である煩悩から離れる事が出来ずその煩悩を無くす事も減らす事も出来無いと説かれているのです。

と言う事は私達は死ぬまで無くならない煩悩に振り回され続けて、

決して救われる事が無いのでしょうか?

いいえ、そうではありません。

「歎異抄って何だろう」には治らない難病である煩悩を苦しみの枝葉、

そしてもう一つの治る難病を苦しみの根本であると言われています。

そして煩悩から離れる事が出来無くても治る難病が完治すれば私達は人間に生まれてきて良かったと言う無常の幸せになる事が出来ると歎異抄には明らかにされているんです。

では、その治る難病とは一体何なのでしょうか ?

それについては続く 3、人生を180度変える為に向き合うべきたった一つの問題について

に譲る事にして此処で一旦

2、分かっていても止められ無い実はあなたも患っている治らない難病について

の内容をまとめておきたいと思います 

1、すべての人間は治らない難病と治る難病にかかっている、

治らない難病は人間に生れ付き備わっている108の煩悩の事であり特に恐ろしいのは欲・怒り・愚痴を三毒の煩悩と言う。

2、全ての人間は欲・怒り・愚痴の心・によって苦しみに悩んでいるが歎異抄にはこれらの煩悩は死ぬまで減りもしなければ無くなりもしないと解かれている

3、治らない難病の煩悩は苦しみの枝葉、治る難病は根本である、歎異抄には苦しみの根本である治る難病を完治する事で無常の幸せになれると解かれている。

3、人生を180度変える為に向き合うべきたった一つの問題について

解説していきたいと思います。

さて、2、分かっていても止められ無い実はあなたも患っている治らない難病について

では文字通り私たちを煩わせ悩ませている煩悩という病について見てきました。

欲・怒り・愚痴・に代表される108の煩悩は決して減らす事も無くす事も出来無い治らない難病ですしかし「歎異抄って何だろう」には治らない難病は苦しみに悩みの枝葉であり、

治る難病こそが苦しみの根本であると言われています。

ではその治る難病について詳しく解説して参りたいと思います。

治る難病とはズバリ

「死んだらどうなるか分からない心の事です。」

 「歎異抄って何だろう」ではこの死んだらどうなるか分からない心を、

死後が暗い心の病とも言い私達の人生を苦に染める根本であると言われています。

治らない難病である煩悩との決定的な違いは、死後が暗い心の病は、

生きている間に完治出来る点にあります。

死んだらどうなるか分からない心が、生きている間に完治し解決出来ると言われている事に

驚かれる方は多いのでは無いでしょうか ?

誰だって死ぬのは嫌ですよね!

死んだらどうなるか等、想像したくもありませんし、

人は皆それを考え無い様にして生きている物です。

しかし人生は一方通行であり赤ん坊として生まれてから、

老人になるまで決して後戻りする事は出来ません。

しかも年を重ねる程時の流れはどんどん早くなります。

ちょうどブレーキの効かない車で最も恐れている、

死に向かって猛スピードで突き進んでいる様な物では無いでしょうか?

その確実な未来がどうなるか分から無いとしたら、

現在の私達は果たして人生を存分に楽しむ事が出来るのでしょうか?その答えはノーです。

未来が暗いと現在も暗くなります。

例えば5日後に成功率10%未満の大手術を控えた末期ガンの患者に今日だけでも楽しくやろうじゃないか!と言っても幾ら何でも無理があります。

あるいは、間もなく飛行機が墜落する事を知らされた飛行機の乗客の気持ちを想像して見て下さい。今はまだ快適な空の旅が続いていたとしてもきっと機内食も喉を通らず機内サービスのコメディ映画も面白く無くなるでしょう。

そうです、未来が暗いと必然的に現在まで暗くなってしまうんです。

未来が暗いと現在も暗くなるこれはつまり、

現在が暗いのは未来が暗いからであるとも言い換える事が出来ます。

今日や明日もしかしたら1時間後にやってくるかもしれない

確実な未来である死後が一体どうなるか分からないと言う事が

私達人生全体に暗い影を落としているんです。

歎異抄にはこの苦しみ悩みの根本原因である死後が暗い心の病が完治すれば、

人種や性別・能力の有無に関係無くどんな人でも生きている。

今から人間に生まれてきて良かったと言う、

明るい心に生まれ変わると説かれているんです。

人生には人それぞれ色々な事があるでしょう。

この文章を読んでいるあなたの人生にも嬉しい事や楽しい事だけで無く大変な事や悲しい事や思い出したく無い程辛かった事もあるかもしれません。

しかしこの死後が暗い心の病が完治する。

本当の幸せを知った時それまでの人生の全ては意味を持ち無駄な物等は、何一つ無くなるんです。

ひとたび死後が暗い心の病が完治すれば、苦悩が渦巻く人生が幸転に転じて一切の苦労が報われ

流した涙の一滴一滴が真珠の玉となって自分の手に戻ってくる様になって行きます。

死後が暗い心の病が完治した幸せとは一体どんな世界なのか?

歎異抄には詳しく書かれているんですが。今回ご紹介している「歎異抄を開く」にはその歎異抄が原文に即して現代の言葉で分かりやすく解説されております。

ちなみに余談ですが古典の解説書と言うと細かい事例や難しい内容がぎっしりと書かれていそうと想像される方も多いと思います。

しかし本書は文字も大きく所々にカラーの桜の写真まで入っていて歎異抄の解説書というイメージが大きく記された一冊でもあります。

歴史を振り返れば歎異抄が書かれた鎌倉時代はほぼ同時期に成立した方丈記にも詳しく記録が残っている様に地震や台風・大飢餓・大火事と言った歴史的な災難に見舞われた暗い時代であった事に加え日本の政治形態も大きく揺れ動く時代の変革期でありました。

さらに歎異抄の1大ブームが起こった明治・大正・昭和・もまた関東大震災や太平洋戦争によって多くの人が亡くなり社会全体が大きく変わって行く激動の時代でありました。

そんな中、知識人を中心に鎌倉時代の歎異抄がこぞって取り上げられ一般の人までもが行

く先の見え無い不安な心を解決に導く糸口を求めたのは必然とも言えるでしょう。

そしてこれからの時代に共通する変化の激しい社会情勢がいつどうなるかわからない不安は感染症の拡大や今も続く戦争・前例の無い事件等が世の中を騒がす令和の今を生きる私達にも共感せざるを得ない物があるのでは無いでしょうか?

ここ数年で歎異抄という言葉を聞く機会がグッと増えたのは、健康やお金では満たされない何か、

ビジネス本や自己啓発本では得られない時代を超えて通じる何かを古典に求める人が増えてきていると言う事かもしれません。

この様な普遍性こそが歎異抄が時代を超え地域を超え世界的な名著として読み継がれている所以ではないかと私は思います。

それでは

3、人生を180度変える為に向き合うべきたった一つの問題について

内容をまとめておきましょう。 

1、歎異抄には、死後が暗い心の病が全ての人の苦しみの根本であり死ぬまで治らない煩悩の違いは、生きている間に完治する事が出来る物だと説かれている。

2、死は万人に共通する100%確率な未来であるにも関わらずその確実な未来がはっきりしない死後が暗い心の病を抱えているので現在の私達も心から人生を楽しむ事が出来ない。

3、死後が暗い心の病が完治する事で、生きている今から人間に生まれてきて良かったと言う幸せになる事が出来る、歎異抄には死後が暗い心の病が完治した幸せな世界が明らかにされている。

さていかがだったでしょうか?今回の文章は「歎異抄を開く」と「歎異抄って何だろう」の2冊の中で 特に個人的に最も重要だと思ったポイントを厳選した上でそれをミックスして要約し解説してまいりました。

「歎異抄を開く」には、歎異抄の現代語訳と解説が「歎異抄て何だろう」には歎異抄を読む為に必要な背景が、分かりやすく書かれていてこの2冊によって歎異抄の内容を理解する事が出来ます。

この文章を見てこの本いいなと思っていただけた方はぜひ本書を実際に照り取って読んでみてください。


また本日ご紹介した2冊のうちの歎異抄を開くの方は映画化やコミックスにもされていていずれもベストセラーとなっております。

親鸞の弟子であり歎異抄の著者でもある唯円を主人公としたストーリーで親鸞思想の入門コンテンツとして非常におすすめのアニメ映画作品となっております。

気になった方は是非そちらもご視聴になって見て下さい。

本日は以上となりますが今年も残す所あと僅かになってしまいました。

今年のブログの更新はこれで最後になり次回の更新は来年になります。

如何か皆さん良いお年をお過ごしください、

最後にこれを読んで頂いた皆様に感謝します。

本間義昌でした。

鬱の事に関して,もっと知ろう。今は心を病んでいる人達が沢山いる時代。

私は2017年から2019年に掛けて2度の脳梗塞を患い左足と左腕が思うように動かず両手とも握力が堕ちおまけに言葉も思うように喋れなくなりました、しかしだからこそこんな私でも発信できることがあるのではないかと思いこのブログを始めました、主に私の考えや最近のニュースや事件等を自分の意見言おうと思っております。今までに4000冊の読書を読み迄続くかわかりませんがどうか応援よろしくお願いします。

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